先日亡くなった樹木希林の最期をしっかり焼き付けようと観にいった。
そんなに好きな映画じゃないけど「東京タワー」の母親役を演じたあたりから、日本映画には欠かせない女優だった。特に是枝作品に出てくると、演技なのか素なのか分からない自然さが魅力だった。中でも「歩いても、歩いても」の菩薩と般若を併せ持つ母親であり老妻役はすごかった。今年の「万引き家族」でも同じような女の性を垣間見せている。今の日本映画界の中で樹木希林の代替はいない。
本作は暗い凄みを見せるような役ではなかったが、いつものように飄々とその役になりきっていた。本格的なお茶を頂いたこともないし、それ程興味を持ったこともないから何んとも言えないけど、本物の茶道家がいるように感じたのはわたくしだけではないと思う。熱演というのとは違うから一層引き込まれてしまう。頑張ってます!演じてます!とやるのも悪いわけじゃないけど、映画のスクリーンで2時間も観せられたらこっちが疲れてしまう。「わが母の記」や「あん」を三田佳子がやっていたら派手な演技の見本市みたいになっちゃう。(それはそれで観てみたい)
これから樹木希林の空間を誰がどのように繕うのか?
大きな損失だ。
映画そのものについて。
夢中になれる何かを探していた女子大学生が従姉妹となし崩しに始めたお茶の稽古を二十数年に亘って淡々と描写してゆく。取り立ててドラマチックなことがあるわけじゃない。一緒に通った従姉妹をはじめ何人かが出たり入ったり。長く付き合った彼と別れたり新しい恋を拾ったり。一人暮らしを始めてから父親をすれ違うように亡くしたり。二十四節気を軸に季節は移ろう。
稽古を始めた頃は不器用にお手前する姿に劇場にいた年配の女性たち(多分お茶の稽古をされているのだろう)から笑いが漏れていた。HOW TO物になるのかなと思っていたが、主題はお茶の稽古ではなく女性の四半世紀をスケッチすることだった。初釜とか沢山の人が集うお茶会の雑然とした雰囲気とか、素人には知らないからこそ興味深いイベントをもうちょっと深掘りして欲しかった。
黒木華と多部未華子が一年の四季折々稽古を通じて成長し、大人になってゆく物語だとばかり思っていたので思惑はずれ。まあ、一年では茶道の奥行きを伝えられないし、スポーツと違い勝った負けたとか受かった落ちたの問題でもなかろうし、やっぱり25年を過ごさなければならなかったのだろう。う~ん、狙いは良くわかるのだけれど、2時間弱で茶室中心の描写じゃ説得力に欠けるな。夏至が来たと思ったらすぐ大寒で、うかうかしていると5年くらいスッと過ぎてしまうので、かえって時間の経過に重みが感じられない。あの震災を経て、樹木希林の師匠がのたまう「同じことができる幸せ」。この言葉に尽きるのだろう。二十四の季節を何度繰り返しても同じことができる事がどれほど贅沢なことなのか。そのことを観せたかったのだから、映せないからこそ難しい時間の経過と重さを映像化できなかったことが残念だ。