tarpin翁のスローライフ

福井県奥越地方、季節のたより、ガーディニングなど、
写真日記・・・そして・・・。

春先の「義宣寺(福井県勝山市)」の梵鐘前。

2013年04月21日 | 坐禅会
早朝「坐禅会」にお世話になっている「禅堂」、義宣寺の春は綺麗

花が咲いて、こんな風景だったのかと思い知らされました。
この場所、暴れ川といわれた「九頭竜川」の氾濫から守るために、
大きく長い石垣を作った遺跡「七里壁」の上部。

義宣寺」は勝山市では、一番最初にできた寺院で、由緒あるお寺。
今は、曹洞宗永平寺本山の直末寺。







織田信長の戦国時代、勝山を治めた柴田勝安の養父でいらした、
柴田義宣(監物)を弔うため、義宣の屋敷後に1574年建立されたもの、
寺領20石。開山は、永平寺19世祚玖禅師。
当時は、禅宗形式の七堂伽藍まであったと伝えられている。

先での、我が家の庭の「花ずおう」に白色があり
見たいものと記していましたが、この義宣寺の庭にしっかり咲いていました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お釈迦様生誕月の「坐禅会」

2013年04月21日 | 坐禅会
当地の日の出も、ご前5時過ぎ、起床時には薄明かく、
家を出るときはすっかりの朝、それでも、ここ数日の寒さ
5度、手袋と上着の要る朝でした。



4月8日のお釈迦様の生誕にかんがみ「あまちゃ」。
釈迦像にかけてお祝いするとともに、自分の口にも。
坐禅会のおかげで「あまちゃ」は、年1度の飲物になりました。






さて、老師の坐中の話も興味強く?

毎回申し上げる話になりますが、「座る」ということは、
特別のことを行っているのではありません。
が、座っているこの時間だけ 「呼吸の出し入れに心を置いてください」。
(緊張の走る時間ですが、静寂の禅堂の中、外の雨だれの音から、
老師のお話は、座り始めの足の痛さを忘れさせる効果も重なります)

「坐禅」って何なのか。
吐く息、吸う息を意識してそれを繰り返すのです。
その「一息」、それが生きているすべてなのです。
もし、息を吸うだけで、吐かなかったら、俗に言う「息ひき取った
すなわち死んだという事です。また、吐くだけであれば、これも死んだのです。

その一息が、かけがえの無い「生きるという基本」です。
その基本に返る、すなわち静に吸う息、吐く息を繰り返すのです。
その具体的な姿が「坐の姿」である。

今から約3000年前、「生きる限り、かけがえの無いわずらわしいことなどを、
乗り越えて(超克)生き続けなさい」と、説きつつ80歳でこの世を去られた、
お釈迦様の生誕の日、4月8日を「花祭り」として祝う日なのです。

快楽の世界、苦行の世界、どちらの生活をも心が休むことが無いこと
を体験されたお釈迦様は、川で身を清め、大きな木の下で座り込まれた、
之が「端坐」(正しく座る姿)である。
端坐に入り、深い心の旅を続けられ、己の吐く息、吸う息を静に繰り返す中、
突然、今までの己を越えることを感じられた(解脱)
これこそが己の生きる姿と悟られた。

その生き様を見た周囲の人は、教えを請うようになったが、
何かの教本やルールがあるわけでなく、
各々の生き様は「己の生き様に聞けと説かれ、それを求め求め続けよ」
それが、お釈迦様の呼びかけとなった。

「天上天下唯我独尊、其の生き様でこの世を全うしなさい」
と説かれたもの、と私(山田老師)は思う。


先月もでた「己事究明こじきゅうめい」という言葉があります。
(仏陀の教えに近かずく道と説かれている)
「己を尋ね尋ねていく旅である、それを、心に人として生きよ」

お互いの人生を、喜び楽しんで生きたいものです。
そして、座ることを楽しんでください。
と締められた。

坐後の「塩粥が冷めるくらい」其の後の卓の前で、
色々なことを聞く機会ともなりました。
また、うれしいことに18世禅師様の宮崎奕保氏102歳の書をお土産にいただきました。

「柳は緑、花は紅」と有ります。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする