「篠田桃江」さんは私の知る、数少ない「文化人のおひとり」でした。
もう30年余の昔、仕事の関係で南青山のお住まいに幾日も伺いました、
居間の床に「電気床暖房の施工」をしたのです。
設計者の立場でした、思い起すと、すでに80代に近いお年でいらした
のでしょう、
「凛としたその姿は近寄りがたいお人」でもありました。
仕事を離れ、私が北陸人であることを知られ、
自身の出生地高山との距離の近さがなつかしさを覚られたのでしょうか。
芸術家で「増上寺の襖画を描かれたひと」等、知りえない人でもありました。
南青山のマンションは、上階と下階が階段でつながり、
下は勝手口、上が玄関という不思議な住まいでした。
幾度かの訪問時には、おせんべいや塩粥のふるまいを得たことが
忘れられません、
岩下志摩さんが甥の篠田監督の奥方ということを知ったのも
そんなご縁からかもしれません。
103歳の出版物で、ご健在を知って、
この度107歳で天寿全うの由、
「今月号の婦人公論」に追悼文が多くありました、
やはり日本、いな世界の大芸術家でいらしたのですね。
(私の墨絵は、お習字の枠を超え「墨衆画」と自称されていました。
また、私のこと桃江(ももえ)さんと呼ぶ人がいると・・・凛とした中での
笑顔は忘れることができません。)
心からご冥福をお祈りいたします。