「あんたんとこはなに新聞かね」「長いこと中国」「親鸞読みよるかね」「ありゃ面白い」「1回分がちぃーと短いのう」、これは先日、報恩講に参拝され方の本堂での会話。
会話の中の「親鸞」は今年の9月から中国新聞に、「作 五木寛之、画 山口 晃」で始まった連載小説のことだと言うことが分かる。私も毎日楽しみに読み、その後切り抜いている。
童のときから始まった物語は100回を迎えた。時の関白、藤原忠通の子息である慈円阿闍梨に「9歳にしては機根を感ずる。ただ者ではあるまい」と言わしめた忠範(親鸞の幼名)はそのまま世話になっている叔父の家から仏門の道へ入っていく。2人の弟を残して。
いま物語は、世間の人が熱病のように教えをこう法然房。「市井の民がなぜ法然房の話を聞き、なぜ彼が人々の心を掴むことが出来るのか」あの慈円様の命により忠範あらため範宴は、比叡山を降り大和への歩を踏み出した。
切り抜いた親鸞を96回までを製本した。大きさを整え、糸で綴り、自作の表紙をつけると1刷の本が完成した。世界で1冊、我ながらいいと納得する1冊。通して読み返せる。97回からお山(比叡山)を降りた範宴の物語になる。物語の感想はまたどこかに載せたい。
(写真:世に1刷の「親鸞」物語)