
同級生Aの名前をだし「紹介をされてお伺いしました」とインターホンに映るのは年配の方。Aが何を紹介したのか、と玄関へ出る。一冊の本を手にした感じのよさそうな人。でも本の販売かも、とちょっと身構える。
名刺を出し「私は総合雑誌21世紀の責任者をしています。読後感を執筆していた人の都合が悪くなり困っている。Aさんから、あなたに頼んだら書いてもらえるだろうと教えられお願いに来た」おおよそこんな話をされた。柔らかい物言いだが、後には決して引かない強い気持ちがこもっている。年配者に対し失礼だが「なかなかの人だ」と思いながら聞く。それは原稿締め切りまで日かずの残り少ないころだった。
総合雑誌21世紀との縁は、原稿募集のあることを教えられて初投稿、掲載された。それだけだった。浅学非才の自分には無理と断るが、Aの顔を思い浮かべ、かって切羽詰まってお願いし受けてもらった時の感激を思い出し「1回限り」でと受けた。書くにあたっては「全編を読んで」という過酷な条件がついた。そんなスタートだが、思わぬことで入院するまでの3年間、合計6冊の読後感を書かせてもらった。
雑誌の発行は5月と11月の年2冊、読後感を退いて1年になる。2冊を読み終えてこれまでとは何か分からないが違う思いがする。編集方法も変わっていないのに、そう思いながらパラパラとめくっていて思い当った。6冊は「読後感を書く材料として読んでいた」つまり、アウトプットを強く意識して読んでいたのだと気付いた。
雑誌21世紀掲載のジャンルは広く「読みたいものを読みたいように読む」というこれまでの習慣を越えなければならなかったのだ。そのお陰で幅広い書き方や観察のしかたなど「そうなの」と、多くの学習が出来たこともあり感謝している。掲載された読後感がどのように読まれたかは知る由もない。
今は一会員として次の配本を待っている。