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各地の歳末風景がTV画面に映し出される。映像だけ見ると「不景気、デフレ」そんな様子は伺えない。そこは庶民の知恵、帰省してくる子や孫のため精一杯のもてなしをしようとする故郷の温かい人情、レジに並ぶ老夫婦の品数を見て感じる。
こうした買出し、今はスーパーで済ませる。そうするよりほかに品揃え出来るところがなくなった。歳末といえば紹介されるアメ横。ここ小さな城下町にも魚町や豆腐町などと呼ばれ、盆と歳末にはアメ横ほどに込み合い、競い合うように買い物籠へ品物を詰めた。その頃はマイバックだった。
昭和も40年代半ばくらいからスーパーの進出、やがて郊外へより大型で便利な店舗が営業を始めると、商店街の活気は一気に消えた。その商店街で商いを続けているのは数店もない。シャッターを降ろして何十年にもなるが、子どものころから見ていた昔のままの看板が、寂しそうに通りやシャッターを見下ろしている。こうした店舗の商圏は徒歩か自転車で行き来する狭い範囲、品数と価格と便利さを備えた大型店に太刀打ちできないのは分かる。
朝からの雨。歩いて出かけたので少し回り道をして大昔のその商店街を通った。アスファルトが鈍く光っているだけで、通りには自分ひとり、モノクロの世界に迷い込んだ感覚。小さくても意気を芽生えさせる策はないものか、またいつもの思いを抱いていた。大きな通りへ出たとき札幌ナンバーのワンボックスカーが通り過ぎ、歳末の町へ引き戻された。