
冬らしい寒さのある日、たまたまなのか、観光する人も公園を散策する人も少ない。公園を通り抜け紅葉谷へ向かう。そこでは落ち葉の清掃に勤しむグループ員の竹箒の音が心地よいリズムになって聞こえる。先日までのあの紅葉の季節の喧騒は城山の麓からは消え去っていた。
すっかり葉を散らせたモミジの木立の奥の一段高くなったところに梅ケ枝薬師堂がある。そのいわれは元禄の寺社記にも記されているというから、もっている歴史の深さを偲ばせる。といっても戦乱や明治維新での廃寺政策など幾多の変遷をへて洞泉寺門前に再興されたという。
その薬師堂、どなたが灯されるのか蝋燭がいつも灯っている。遠くからでもほの暗い堂内をぼんやりとだが伺える。堂内には無数の折鶴が飾られている。備えられた生花の奥に黒々と書かれた「薬師如来真言 おん ころころ せんだり まとうぎ そめか」の張り紙がある。手をあわせ、これを唱えるのだろう。
何度もそのそばを通り過ぎた梅ケ枝薬師堂、岩国検定の仲間入りまでは何の関心もなかった。由来の説明を読むと、古人の信仰への深甚な思いと、教えを伝え繋がなければという姿がそこから浮かぶ。今もそれを受け継ぎ蝋燭を灯される人がある。その人を見たことはない。見たことはないが、それは心穏かな人、と想像する。