
月1度の農園作業、先月は都合で遅れての作業日だった。その際、農園横の空き地の雑草は綺麗に刈り取られ見てくれのいい姿になっていた。それから2週間目の定期農園作業の日、その空き地は緑一色の雑草に覆われている。あれほど出没していたイノシシの痕跡もなく、静かに平凡に雑草は生えて伸びたのだろう。見渡すだけなら緑の絨毯にもなぞらえれる。
雑草とは「人間の生活範囲に人間の意図にかかわらず自然に繁殖する植物」と難しそうな説明。「自然に生えるいろいろな草。また、農耕地で目的の培植物以外に生える草」と説くのは広辞苑で「たくましい生命力の例えに使うことがある」とし「雑草のように育つ」と例示がある。嫌われるものの一つだがそのたくましさに人間も兜を脱いでいる。
過疎地域の休耕田にのさばる雑草刈りに参加したことがある。背丈以上に伸びたそれは草というより雑木のように硬くなり盛り上がった根回りは、素人の手伝いでは太刀打ちできないほどの頑固さを持っている。生活排水の流入しない高地の稲田で穫れた米の美味さは格別と聞いているがこの棚田では応えられない。倒れた雑草は次に生える雑草の養分になるのだろう。
農園作業に参加する時、その昔、わずかだが菜園作りの経験があり草ぬきくらいなら手伝える、そんな気持ちからの参加だった。草の根の頑固さを再び経験している。それでも草を抜き取った跡を振り返って、少しは目的の野菜が喜ぶのではと自己満足する。夏場に向かって雑草とのせめぎ合いは続く。