ニュースによると、西川貴教が観客のアンコールを求める姿勢に苦言を呈している。
その論旨は以下のようなものだ。
・コンサートは本編で完結しており、チケット代も本編に対するもの
・アンコールは客の強い求めに応じて行われる「心と心の交流」の結果で、演者の義務ではない
・アンコールの声が小さかったり、スマホをいじっていたりしているとモチベーションが下がる
正論だと思う。
2008年8月13日夜、AKB48の研究生公演で、アンコールが行われなかった事件があった。
テッドさんがこの事件に遭遇している。
この時は、本編終了後「3分間アンコールの声が上がらなかった」ことを以て、「アンコールの要求がなかった」とみなし、アンコールは行われなかった。その代りに「満足してもらえるパフォーマンスではなかった」として、メンバーからお詫びがあった。
今回の西川貴教の主張とほぼ同じ認識だと思われる。
アンコールとは本来そういうものだし、いつもあるとは限らないという実例を示し、聴き手と演者に緊張感をもたらした事件だったと思う。
考えれば、「アンコール中止事件」という呼び方も変だ。建前上アンコールはあるかないか判らないのだから、「アンコール不実施事件」と呼ぶべきだったのだろう。
その後はそうした事件は発生していないようなので、毎回3分以内には「アンコール発動」があるのだろう。
しかし、本編終了してから「アンコール発動」までの1~2分間のあの沈黙は、私にはどうにも耐えられない時間だ。本来であれば、本編終了時の拍手が途切れることなく、アンコールを求める拍手に変質して行くのが美しい姿だろう。さもなくば、一瞬拍手が途切れたとしても、すぐに「アンコール」の声が自然発生的に上がるのが普通だろう。誰か古参のファンが「アンコール行くぞー」と宣言して「発動」するという形は、特殊だし、自然ではないと思う。
そう思うだけで、自分では自発的に声を上げない私も同罪ではあるのだが。
ただ、AKB48の運営側にも要因はあるだろう。
アンコール3曲を含んだセットリストをCDでもDVDでも発売し、16曲トータルで1つのセットリストであることを明示している。
アンコールの中で、新曲の告知や、メンバーの生誕祭などを実施しており、運営自身が「アンコールはあるのが当然」と考えている。
「3分以内」というような定量的な基準を示してしまったので、「心と心の交流」とは程遠い義務的な拍手、コールでもアンコールをすることになった。アンコールの形骸化である。
次回観戦する時があれば、本編終了後、一人でも拍手を続けようと思う。
その論旨は以下のようなものだ。
・コンサートは本編で完結しており、チケット代も本編に対するもの
・アンコールは客の強い求めに応じて行われる「心と心の交流」の結果で、演者の義務ではない
・アンコールの声が小さかったり、スマホをいじっていたりしているとモチベーションが下がる
正論だと思う。
2008年8月13日夜、AKB48の研究生公演で、アンコールが行われなかった事件があった。
テッドさんがこの事件に遭遇している。
この時は、本編終了後「3分間アンコールの声が上がらなかった」ことを以て、「アンコールの要求がなかった」とみなし、アンコールは行われなかった。その代りに「満足してもらえるパフォーマンスではなかった」として、メンバーからお詫びがあった。
今回の西川貴教の主張とほぼ同じ認識だと思われる。
アンコールとは本来そういうものだし、いつもあるとは限らないという実例を示し、聴き手と演者に緊張感をもたらした事件だったと思う。
考えれば、「アンコール中止事件」という呼び方も変だ。建前上アンコールはあるかないか判らないのだから、「アンコール不実施事件」と呼ぶべきだったのだろう。
その後はそうした事件は発生していないようなので、毎回3分以内には「アンコール発動」があるのだろう。
しかし、本編終了してから「アンコール発動」までの1~2分間のあの沈黙は、私にはどうにも耐えられない時間だ。本来であれば、本編終了時の拍手が途切れることなく、アンコールを求める拍手に変質して行くのが美しい姿だろう。さもなくば、一瞬拍手が途切れたとしても、すぐに「アンコール」の声が自然発生的に上がるのが普通だろう。誰か古参のファンが「アンコール行くぞー」と宣言して「発動」するという形は、特殊だし、自然ではないと思う。
そう思うだけで、自分では自発的に声を上げない私も同罪ではあるのだが。
ただ、AKB48の運営側にも要因はあるだろう。
アンコール3曲を含んだセットリストをCDでもDVDでも発売し、16曲トータルで1つのセットリストであることを明示している。
アンコールの中で、新曲の告知や、メンバーの生誕祭などを実施しており、運営自身が「アンコールはあるのが当然」と考えている。
「3分以内」というような定量的な基準を示してしまったので、「心と心の交流」とは程遠い義務的な拍手、コールでもアンコールをすることになった。アンコールの形骸化である。
次回観戦する時があれば、本編終了後、一人でも拍手を続けようと思う。