『君はどこにいる?』(NGT48)。
NGT48のオリジナルソング2曲目。1曲目の『Maxとき315号』は完璧な楽曲だったが、2曲目も負けず劣らず素晴らしい楽曲だ。
緊張感のあるイントロに、頭サビが続く。少年期の淡い憧れのような恋心を描いた歌詞に引き付けられる。憧れの少女の姿を追い求め、夏の夕暮れから夜に森の中をさ迷い歩く。その心細さが伝わるような濃密な曲調だ。
そんな中に、AKBグループの過去の楽曲で聞き覚えのある場面が散りばめられている。彼女を探して登る石段は『青空カフェ』のカップルが登った石段かもしれないし、祭り提灯は『僕の打ち上げ花火』の彼が見た景色と同じかもしれない。
大人にとっては何でもない風の音や夜の闇に怯え、揺れる心を表現するのに、AKBグループの他の姉妹グループではふさわしくない。フレッシュで、田舎の匂いのまだ残るNGT48の現在でしか表現できなかったパフォーマンスだと思う。
『考える人』(チーム4)。
難解な歌だ。
この歌を理解するには、有名なブロンズ像『考える人』についての予備知識が必要だ。私も、ネットで調べて以下のような知識を得た。作者はロダン。元々は『地獄の門』という巨大な作品の一部で、頬杖を付く人物はただ考えているのではなく、地獄を見下しているのだそうだ。そのモデルは詩人のダンテか、ロダン自身かと言われている。
そういう蘊蓄を踏まえつつ、その像と同じように深く悩んでいる「僕」の心境を哲学っぽく歌ったのが『考える人』だ。その悩みが何なのかも、回りくどく歌われているのでわかりにくいが、どうも2人の女性を好きになり、どちらを取るのか、どちらも取らないのか、くどくどと悩んでいるようだ。『ハートの独占権』に歌われていた優柔不断な男の立場だ。天国か地獄か、傍観者か恋の当事者か、つべこべ言っているが、どちらの女性のことも真剣に愛することができないことが本当の苦悩なのではないか。それは『UZA』の苦悩と似ている。
曲調はスピード感があり、高揚する。歌詞の難解さとは対照的に、疾走感あふれるサウンドだ。
『夢へのルート』(チーム8)。
これぞ「楽屋落ち」「自己言及ソング」だ。
横一線でスタートしたのにいつの間にか差がついてしまっている。そんな状況だが、夢へのルートは1つではないのだから、モチベーションを下げずに頑張れと諭す歌だ。実際、47人のメンバーの中には選挙でランクインするメンバーもいれば、すでに辞めてしまったメンバーもいる。私と同郷の岩崎萌花さんもそうだ。
山を登るルートは1つではない、急な崖を登るのもよし、走る姿の美しさを評価されたり、流した汗の量も誰かが見ていると説くのは、AKBグループの楽曲で一貫している「多様な競争」理論だ。
『チャンスの順番』では「雲のどれが一番早いかは意味がない」と歌い、『365日の紙飛行機』では「飛んだ距離より、どこを飛んだのか、どう飛んだのかが大事」と歌っている。
説教臭さは否めないが、爽やかな曲調に救われている。
『恋をすると馬鹿を見る』(チームB)。
楽しいコンセプトソングだ。
風邪をひいて家にいるはずの彼女が、別の男とデートしている現場を目撃してしまったショック。本気で恋をすると裏切られて馬鹿を見る、わかっていても学習しない自分を自嘲する歌だ。
最後には、似ているけど別人だと、現実を受け入れず逃避している。可哀想な男だ。
コミカルな曲調が余計に悲しい。
『哀愁のトランペッター』(チームK)。
これもコンセプトソングだ。
クラブのホステスの視点で、いやらしいオヤジをあしらいながら、バンドマンの彼とのデートを思い出しているといった歌。キャバクラ嬢視点のSDN48『おねだりシャンパン』を思い出す。AKB48では歌えないようなアダルトな世界を歌うために当時SDN48を作ったが、今では何の違和感もなくAKB48が歌っている。メンバーの年齢層も上がったこともあるが、清純なイメージにこだわる必要もなくなったのだろう。
お洒落っぽいサウンドは悪くないと思う。
『Set me free』(チームA)。
チームAにありがちな、スタイリッシュな歌だ。
この歌の良さは私にはよくわからない。
『翼はいらない』については既に記事にしたが、1つだけ付け加えたい。
それは編曲についてだ。楽曲自体はフォークソングだが、編曲は昭和時代の歌番組によく見られたようなバンドサウンドだ。「夜のヒットスタジオ」の雰囲気がしてならない。
AKBグループで言えば、渡辺麻友の『二人の夜明け』がちょうどこんなサウンドだった。渡り廊下走り隊の『希望山脈』も同系統。懐かしいサウンドだ。
NGT48のオリジナルソング2曲目。1曲目の『Maxとき315号』は完璧な楽曲だったが、2曲目も負けず劣らず素晴らしい楽曲だ。
緊張感のあるイントロに、頭サビが続く。少年期の淡い憧れのような恋心を描いた歌詞に引き付けられる。憧れの少女の姿を追い求め、夏の夕暮れから夜に森の中をさ迷い歩く。その心細さが伝わるような濃密な曲調だ。
そんな中に、AKBグループの過去の楽曲で聞き覚えのある場面が散りばめられている。彼女を探して登る石段は『青空カフェ』のカップルが登った石段かもしれないし、祭り提灯は『僕の打ち上げ花火』の彼が見た景色と同じかもしれない。
大人にとっては何でもない風の音や夜の闇に怯え、揺れる心を表現するのに、AKBグループの他の姉妹グループではふさわしくない。フレッシュで、田舎の匂いのまだ残るNGT48の現在でしか表現できなかったパフォーマンスだと思う。
『考える人』(チーム4)。
難解な歌だ。
この歌を理解するには、有名なブロンズ像『考える人』についての予備知識が必要だ。私も、ネットで調べて以下のような知識を得た。作者はロダン。元々は『地獄の門』という巨大な作品の一部で、頬杖を付く人物はただ考えているのではなく、地獄を見下しているのだそうだ。そのモデルは詩人のダンテか、ロダン自身かと言われている。
そういう蘊蓄を踏まえつつ、その像と同じように深く悩んでいる「僕」の心境を哲学っぽく歌ったのが『考える人』だ。その悩みが何なのかも、回りくどく歌われているのでわかりにくいが、どうも2人の女性を好きになり、どちらを取るのか、どちらも取らないのか、くどくどと悩んでいるようだ。『ハートの独占権』に歌われていた優柔不断な男の立場だ。天国か地獄か、傍観者か恋の当事者か、つべこべ言っているが、どちらの女性のことも真剣に愛することができないことが本当の苦悩なのではないか。それは『UZA』の苦悩と似ている。
曲調はスピード感があり、高揚する。歌詞の難解さとは対照的に、疾走感あふれるサウンドだ。
『夢へのルート』(チーム8)。
これぞ「楽屋落ち」「自己言及ソング」だ。
横一線でスタートしたのにいつの間にか差がついてしまっている。そんな状況だが、夢へのルートは1つではないのだから、モチベーションを下げずに頑張れと諭す歌だ。実際、47人のメンバーの中には選挙でランクインするメンバーもいれば、すでに辞めてしまったメンバーもいる。私と同郷の岩崎萌花さんもそうだ。
山を登るルートは1つではない、急な崖を登るのもよし、走る姿の美しさを評価されたり、流した汗の量も誰かが見ていると説くのは、AKBグループの楽曲で一貫している「多様な競争」理論だ。
『チャンスの順番』では「雲のどれが一番早いかは意味がない」と歌い、『365日の紙飛行機』では「飛んだ距離より、どこを飛んだのか、どう飛んだのかが大事」と歌っている。
説教臭さは否めないが、爽やかな曲調に救われている。
『恋をすると馬鹿を見る』(チームB)。
楽しいコンセプトソングだ。
風邪をひいて家にいるはずの彼女が、別の男とデートしている現場を目撃してしまったショック。本気で恋をすると裏切られて馬鹿を見る、わかっていても学習しない自分を自嘲する歌だ。
最後には、似ているけど別人だと、現実を受け入れず逃避している。可哀想な男だ。
コミカルな曲調が余計に悲しい。
『哀愁のトランペッター』(チームK)。
これもコンセプトソングだ。
クラブのホステスの視点で、いやらしいオヤジをあしらいながら、バンドマンの彼とのデートを思い出しているといった歌。キャバクラ嬢視点のSDN48『おねだりシャンパン』を思い出す。AKB48では歌えないようなアダルトな世界を歌うために当時SDN48を作ったが、今では何の違和感もなくAKB48が歌っている。メンバーの年齢層も上がったこともあるが、清純なイメージにこだわる必要もなくなったのだろう。
お洒落っぽいサウンドは悪くないと思う。
『Set me free』(チームA)。
チームAにありがちな、スタイリッシュな歌だ。
この歌の良さは私にはよくわからない。
『翼はいらない』については既に記事にしたが、1つだけ付け加えたい。
それは編曲についてだ。楽曲自体はフォークソングだが、編曲は昭和時代の歌番組によく見られたようなバンドサウンドだ。「夜のヒットスタジオ」の雰囲気がしてならない。
AKBグループで言えば、渡辺麻友の『二人の夜明け』がちょうどこんなサウンドだった。渡り廊下走り隊の『希望山脈』も同系統。懐かしいサウンドだ。