■2009/04/15 (水) 公僕が市民を家畜扱い、民主主義
主(あるじ)が代理人(政治家)に任せっぱなしにしている時、僕(しもべ)たちが何をやりだすか?
しもべが代理人を篭絡してやりたい放題になる。市民にいくらかでも自覚があれば僕もでたらめはできない。 しかし、市民が自らの立場を忘れて代理人(政治家)の事を主人あるいは親分と勘違いするために、しまいには家畜扱いされている。
公僕が代理人(政治家)を篭絡して手をつなぎ、市民を家畜扱いする、それが民主主義の現実だ。役人は大体、政治家など欲深で頭の弱い、ただの威張り屋と見ている。あしらうのは簡単だ。
民主主義と呼ばれる仕組みにあって、市民は主(あるじ)である事の責任を自覚していない。本来、主には知って管理する責任が有る。
住民は働き手でありながら主人でもある。
民主主義は住民に主人としての責任も仕事も担わせる仕組みだ。投票がめくら判だから経営がデタラメになった。
しかし、大衆が適切に代理人を選ぶ事は非常に難しい。カネの為に大衆の心理を操作する煽り新聞屋のやりたい放題になりやすい。大衆は正体を失い、主権は乗っ取られる。
代理人としての自覚ができる人間に主の役割を担わせ、大衆が労働者である事に不幸を感じない社会の仕組みを考える必要がありそうだ。 |