横浜 三溪園で甘い香りがする梅の花のそばでたたずみ、歩きつかれた足を癒やしていた。
幸田露伴は、日々の暮らしの中で身近に見られる草木を題材に、花への想いを「新小説」明治31年3月号 ~ 7月号に「百花譜」と題し掲載している。
その最初の花が「梅」。
「梅は野にありても山にありても、小川のほとりにありても荒磯の隈にありても、たゞおのれの花の美しく香の清きのみならず、あたりのさまをさへ床しきかたに見さするものなり。
崩れたる土塀、歪みたる衡門、あるいは掌のくぼほどの瘠畠、形ばかりなる小社などの、常は眼にいぶせく心にあかぬものも、それ近くにこの花の一ト木二タ木咲き出づるあれば、をかしきものとぞ眺めらるゝ。
たとへば徳高く心清き人の、如何なるところにありても、其居るところの俗には移されずして、其居るところの俗を易ふるがごとし。
出師の表を読みて涙をおとさぬ人は猶友とすべし、この花好まざらん男は奴とするにも堪へざらん」
梅はやっぱり絵になるんだろう。
どんなところに咲いていても、やっぱこの時期、レンズを向けてしまう。
枝が邪魔をするため、スッキリとした写真が撮りづらいのだが。。
・・・「出師の表」かあ。
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