京都の道を語れるほど詳しくはないのだが、田舎者だからだろう、八坂の道が好きだ。
清水さんから八坂神社へ。三年坂、二年坂、一念坂そしてねねの道へとたどる石畳の道。
清水へ祇園をよぎる桜月夜 今宵逢うひと みな美しき(与謝野晶子、みだれ髪)
田舎者のぼくは、逆に清水さんから祇園へ坂道を下りながら”上がる”。
しとしと春雨の降り続く清水寺。
かつては清水山から阿弥陀ヶ峰・東福寺に至る山麓一帯が、鳥辺野と呼ばれる風葬の葬場のひとつだった。
鳥辺山の麓には、こんな話が残されている。
六道珍皇寺から東大路へ向けて坂道を上ったところに一軒の飴屋がある。ある日の夕暮れ、店の主人が店終いをしようと思ったところ、若い女が飴を買いに来た。以来、女は毎晩飴を買いに来るようになった。最初に飴を買いに来た晩から7日目。その日も女はやってきた。
「実は今日はおアシがございませんがアメをひとつ・・・」と女は言う。
人間、死ぬときには、六道銭といって三途の川の渡し銭として、銭を六文、棺桶に入れる。その女はそれを持ってきたのではとゼニなしでアメを与えてそっと後をつけると、二年坂、三年坂を越えて高台寺の墓原へ入っていく。そして、一つの塔婆の前でかき消すように消える。
・・・寺の住職とともに最近埋葬された女の墓を掘り起こしてみると、墓の中から生きた赤ん坊が見つかり、脇には女が買い求めた飴が散らばっていた。
母親の一念で一文銭を持ってアメを買ってきて、子どもを育てていた。それもそのはず、その場所は「コオダイジ(高台寺)」。
(米朝ばなし『上方落語地図』講談社文庫より)
清水さんから東山の祇園への八坂の道は、かつて「都の都たるところ」といわれた道だ。
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