国の教え「天下の憂いに先だって 憂い、天下の楽しみに後れて楽しむ」から命名された後楽園。
1629年(寛永6)、初代藩主徳川頼房の造営、水戸黄門のモデルになった2代目光圀に引き継がれた徳川家の江戸上屋敷内の庭園だ。
光圀は家康の孫であり兄が二人いる。つまり三男坊。彼が家督を継いだのは、三代将軍家光(1604-1651)によるものらしい。
家光は家康の孫として誇りを持つ自分と似た気性の光圀をかわいがり、水戸の後継者として指名した。
光圀は、日本へ救援を求める日本請援使として明の鄭成功より派遣された朱舜水らとの交流を通じて、日本こそが天皇による普遍的な統治が続けられた正統な国家であると思うようになった。
かくして、光圀は儒学を奨励し、彰考館を設けて『大日本史』を編纂し水戸学の基礎をつくる。
黄門漫遊譚はあくまでもフィクションのようだ。実際には光圀は、日光、鎌倉、金沢八景、房総などしか訪れたことがないらしい。
なお、日本でラーメンを初めて食べたのは光圀。ラーメンばかりか、餃子、チーズ、牛乳酒(ケフィア・クミス)、黒豆納豆を日本人初で食べている。
また、光圀は当時の生類憐れみの令を無視して、牛肉、豚肉、羊肉などを食べていたらしい。
グルメだったんだな光圀。でも、水戸ラーメンがメジャーにならなかったのは、やぱ、それがまずかったせいだろうか?
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