今年もブログエアコンの稼動中です。
あの日、首都圏も被災地だった。
地震の揺れや液状化現象、地盤沈下などによって、東京湾を含む関東南部に至る広大な範囲で、人々の生活に必須なライフラインが寸断された。
あの日、一晩中、歩きとおして、自宅へ帰り着いた女性から聞いた話。
千葉では、液状化現象であたりがみるみるうちに泥沼化。
津波を避けて埋立地ではない方向に避難し、途中で振り向いたら黒煙もみえたとのこと。
2時間歩いて繁華街の駅に着き、彼女は5時間、電車を待った。
厚着をしていたけれど、待っている間、足踏みをして寒さをこらえてた。
駅のバリアフリーのエレベターは全てストップ。スロープがなかったので、ベビーカーや車椅子が立ち往生してた。
後ろに並んでいた男子が、まわりの人に持ってたカイロをあげてた。
また一人の女性は、駅前パン屋さんがくれたパンを配ってた。
携帯電話も全く通じなかった。かろうじてiPhoneが1回だけ通じてすぐ切れた。
公衆電話からは、西日本方面へは通じているようだった。
駅員は「他社線の状況はわかりません」の一点張り。
タクシーを待つ人の列は100m超え。暗くなってからは、タクシーは全く来なかった。
倒れそうになった老人を数人見た。
駅前ビジネスホテルは既に満杯。喫茶店は20時で閉店。かろうじてマックが開いていたが、客は21時でしめ出されていた。
近くのコンビ二は、弁当やパンが完売。あるのはカップラーメンだけだった。
空腹は感じなかったけど、寒さと余震の恐怖と闘っていた。
深夜近くになり、タクシーも駄目とわかったとき、彼女は歩いて帰ることを決意した。
(明日に続く)
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