地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

小川国夫との日々

2012年09月26日 | 読書

 

小川恵著『銀色の月 小川国夫との日々』を読んだ、芸術家の妻は大変だ

 先日熊井明子著『めぐりあい 映画に生きた熊井啓との46年』(春秋社刊)を読んだ感想を書いた際に、「芸術家の妻というのも大変だなとも心底思った」と書いた。その思いは、作家・小川国夫の妻である小川恵著『銀色の月 小川国夫との日々』を読んで、よりいっそうその思いを強くした。

 「夫との50余年の生活の中で、いつも夫の仕事の周辺をうろうろするばかりであった私だが、相手がいなくなった今、残された、この私なるものは何であったか、思い出してみようと、ペンを持ってみた。亡き夫を鏡にして、私を照らし出せばぼんやりながらも自分の姿が映るのではないかと、儚い望みを持ったのだ」とその執筆の動機を「あとがき」で書いている。

 

 しかし、この本は作家である夫・小川国夫との単なる回想録としては書かれていない。著者がめざしたものは、著者の大学の先輩である作家・須賀敦子の作品スタイルを採用している。その須賀敦子の「スタイル」とは、「単なるエッセイではなく、ドキュメンタリーでもなく、既成の小説とも違い、日生活の描写を通して、それぞれの場面が昇華され、全く別の世界を醸し出している、独特の感性の文学作品」(「あとがき」より)と紹介している。

 私はこれまでに、結構多くのパートナーが亡くなっての回想記を読んできたが、こうした書き方は珍しかった。一つの事実を取り上げて、それが「昇華」されていて、小川国夫の存命中の姿はそんなには窺い知ることはできなかった。それを著者は選択したのだろう。

 

 ところで、私は小川国夫の熱心な読者ではない。いや正直に告白すると、「熱心な」を取り除いた方がいいくらいだ。それでも、書棚には著作集もあり、単行本も10冊を超えて並んでいる。デビューした当時の藤枝在住の小川国夫の雰囲気に惹かれて購入したように思う。

 その中には、先にも紹介したが豆本や、署名・落款のある『血と幻』(小沢書店刊)もある。また、先駆文学館開館記念版の随筆集『静かな林』(限定1500部)は、識語・書名入りだ。こうした本は引き取り手を探しているのだが、その術を知らない。

 ともあれ、一人の人間には一つの人生がある。様々な方の「生きる」姿に感銘を受けながら、私も暮らしていきたいと願う。

 

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