成人の日ということで、数十年前を思い出した。学生の頃だ。当時は当然15日が成人の日。成人式に出席する気などはなっからなかった。周りはみんな同じで、誰も行く奴はいなかった。よって、前の晩から麻雀をやっていた。徹マン明けだが、当時、私は極度の不眠症で、眠気すら襲ってこなかった。10時ごろだったと思うが、麻雀上がりで友人と渋谷の名画座にマイフェアレディを観に行こうという話になり、阿佐ヶ谷の駅に向かった。
駅前で、献血車を見つけ、野口五郎だったと思うが二十歳の献血の歌に誘われて、献血した。二十歳という意識がそうさせたのだ。そのまま、渋谷で映画を観て夕方アパートに帰り、そして、何となく炬燵の中で横になると、眠ってしまった。12時間後目覚めた。めちゃくちゃ熟睡できたのだ。テツマン明けということもあるが、今までそんなに熟睡でできたことはなかった。何故だ、結局、熟睡の原因は献血しかないという結論に達した。たぶん血が余っていたのだろう。情けない話である。
それにしても、当時は成人式などまったく人ごとだった。確かに晴れ着に身を包み、夜の街に繰り出す若者を見ても、自分たちとは別の世界の人間にしか見えなかった。あの頃は、漠然と作家になるという夢を追いかけていた。結果は作家にはならなかったが、編集の世界で生きてきた。実は今もあの頃と精神構造は何も変わっていない。つまり、作家になる思いはまだ捨ててはいない。ずいぶん時間は流れたが、書く思いは持ち続けている。
それにしてもTVでやっていたが新成人の9割が将来の日本に不安を感じているらしい。私は二十歳の頃、将来の国の不安など全く考えてもいなかった。自分の夢のみで、もがいていた。今思うと案外、いい時代だったのかもしれない。
駅前で、献血車を見つけ、野口五郎だったと思うが二十歳の献血の歌に誘われて、献血した。二十歳という意識がそうさせたのだ。そのまま、渋谷で映画を観て夕方アパートに帰り、そして、何となく炬燵の中で横になると、眠ってしまった。12時間後目覚めた。めちゃくちゃ熟睡できたのだ。テツマン明けということもあるが、今までそんなに熟睡でできたことはなかった。何故だ、結局、熟睡の原因は献血しかないという結論に達した。たぶん血が余っていたのだろう。情けない話である。
それにしても、当時は成人式などまったく人ごとだった。確かに晴れ着に身を包み、夜の街に繰り出す若者を見ても、自分たちとは別の世界の人間にしか見えなかった。あの頃は、漠然と作家になるという夢を追いかけていた。結果は作家にはならなかったが、編集の世界で生きてきた。実は今もあの頃と精神構造は何も変わっていない。つまり、作家になる思いはまだ捨ててはいない。ずいぶん時間は流れたが、書く思いは持ち続けている。
それにしてもTVでやっていたが新成人の9割が将来の日本に不安を感じているらしい。私は二十歳の頃、将来の国の不安など全く考えてもいなかった。自分の夢のみで、もがいていた。今思うと案外、いい時代だったのかもしれない。