21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

義理欠く政界に違和感

2011-01-20 09:15:55 | 政治にモノ申す
 古い奴だとお思いでしょうが
 古い奴ほど新しい物を欲しがるもんでございます
 どこに新しいものがございましょう
 生まれた土地は荒れ放題
 右も左も真っ暗闇じゃございませんか

 最近の民主党政治を見ていて、やたらと鶴田浩二の「傷だらけの人生」が頭の中をかけめぐる。

 民主党に限ったことではないのだろうが、政権与党ということで目に余るのだろう。

 何が、それは義理や人情といった古き良き日本人の美徳が、政治家がことごとくないがしろにしているからだ。

 情けで世の中は渡れないとでも言いたいのだろうが、人の情けで生きさらばえてきた世代としては、自分より上の世代が情けを平気で捨てている政治家の姿に違和感を感じてならない。

 さしずめ小沢一郎という政治家に対する菅執行部の姿勢などはその典型であり、それを違和感なくすんなり受け入れるメディアや国民性には、絶望感すら覚える。

 小沢は政権交代の立役者であることは誰の目にも明らかだ。その小沢が検察審査会という奇異な制度によって被告人になるとなったとたん、手のひらを返したように、露骨な小沢追放に走り出す菅直人という人間はとてもじゃないが信用できない。

 仮に小沢が検察に起訴されたのなら、離党や議員辞職も仕方ないのかもしれないが、検察審査会による強制起訴に対しては、むしろ党の姿勢としてその矛盾を社会に問うくらいの覚悟で臨むべきではないのか。もし、民主党が最初からその方向で動いていたなら、国民の小沢に対する印象は180度変わり、民主党に対する支持も違っていたのではないか。

 たぶん、小沢の疑惑より、小沢による党支配に対する危機感がそうした動きにつながっているのだろう。つまり政治とカネをだしに国民感情を味方につけて、小沢外しを行うという姑息なやりくちだ。

 小沢と菅の関係の危うさは民由合併にさかのぼる。当初、民由合併に動いたのは当時の代表鳩山だった。しかし、党のコンセンサスを得ていないということで菅らの反発にあい、縁談は一旦流れ、鳩山も代表の座を降りた。しかし、その一年後、縁談話は復活し、当初、合併に消極的だった菅が合併に動き、小沢と握手をした。結局、民由合併は菅の英断ということになり、メディアはそらぞらしく菅の手柄として報じた。

 何だかタナボタで首相になった今の菅を彷彿させる。義理や人情などくそくらえで、臆面もなくいいとこどりを地で行く菅の政治姿勢そのものである。

 その意味では、義理や人情を重んじる鳩山のほうが人間味があった。

 まあ、菅に限らず議員を辞職しない与謝野にしても、本当にこいついい年して何を考えているのかとその神経を疑いたくなる。自民党が怒るのは当然だ。少なくとも今の立場は自民党支持者への裏切りであり、比例議員である以上、当然、議員は辞職するのが筋だ。

 結局、今の政治家は自己保身や出世のためには、平気で人を裏切り、蹴落とすことに何の抵抗もないのだ。

 これが30~40代というなら世代の違いで仕方ないのかと思うところもないわけではないが、菅にしても与謝野にしても義理や人情の中で育った世代である。いかに、政治の世界が人の世とかけ離れた世界であることがわかる。

 そういえば、7年ほど前だったか、ある政党にいたころ、地方議員になりたいと門を叩いてきた30代半ばの自治体職員がいて、何とか力になろうと動いた。しかし、その職員は1年後、何の断りもなく党を離れ、何と対立する党の支持を得て国選に出馬した。落選したが、その1年後、ある町の町長となった。そんな彼に、今の若い奴らは出世のためには義理もへったくれも関係ないんだなとギャップを感じたものだが、何と自分より上の菅や与謝野が同じなのには、自分の感覚の方がおかしいのかと思ってしまう。

 古い奴だと…傷だらけの人生がやけに身にしみる。



 
コメント
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