21世紀中年

昭和オヤジのときめき、ひらめき、感激、嘆きを思いのままに書き連ねます

菅政権では危機を乗り越えられない!

2011-03-26 08:56:46 | 政治にモノ申す
 震災発生当初から懸念したダメ政権の影響が、そこかしこで出てきた。案の定である。暴走が止まらない原発に国民は恐れおののき、無責任な対応に水を買いだめしたり右往左往、風評被害は広がるばかり。電力事情は深刻で、工場は生産停止状態。産業への影響は計り知れない。だが、菅首相からは相変わらず国民の不安を消し去るような、勇気づけられるメッセージはない。それどころか、時たま、老人のようにくたびれた顔で、とてもリーダーとは思えない役人じみたコメントを言うために会見に現われるだけである。

 リーダーがそんなありさまでこの国家の一大事をどうやって乗り切るのか。

 TVではスポーツ選手やタレントが「ひとつになろう」「みんなで乗り越えよう」と盛んにメッセージを送っているが、一番それをやらなけれならないのはこの国のリーダーだろうが。政府は一体何を考えているのか。国民を勇気づける首相のメッセージを政府広報として、毎日、TVで流すくらい、普通は考えるだろう。

 何度も言うが政治家どもは危機感がなさすぎる。対応が後手後手なのは、すべてそのせいといってもいいくらいだ。

 TVでいくら評論家がもっともらしいことを言ったところで、国家がこれでは所詮はワイドショーの戯言である。
 
 早く気づけよ、己の愚かさに。いまこそ政治家は党利党略を度外視して、一丸となって危機を乗り越える姿を国民に見せるときではないのか。そこに導けない菅首相は一国のリーダーの資格はない。
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福島第一原発は廃炉?存続?どっち?

2011-03-24 08:46:33 | 雑記帳
 風評も含めて放射能被害がじりじりと広がり続ける今、蟻地獄のような原発の恐ろしさを感じている。
 
 まめに原発報道をチェックしているわけではないためか、一つの疑念を抱いている。それは、今行われている作業と第一原発の今後の関係である。存続なのか、廃棄なのかがわからないのだ。修復を念頭に置いた作業なのか、廃棄のための作業なのかということだ。それがわからない。

 いずれにしても、原発は暴走し、それを容易に止められないことを今回の災害で改めて思い知らされた。いったいいつまでこの暴走が続くのかわからないが、少なくとも廃炉か修復か知りたいところだ。素人考えだが、修復して存続するというのは並大抵のことではないはずだ。今回の震災規模は想定外だったというのだから、それを考慮したものでなければならないだろう。そう考えると、存続は難しいと思える。

 ひょっとして廃炉という方針がすでに発表されており、そのための作業だったら、疑念は杞憂となるのだが、それに関する報道が見つからないので、私の中で疑念は続いている。

 
 

 
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東電任せの調査でいいいのか

2011-03-22 09:15:55 | 政治にモノ申す
 福島第一原発報道で気になるのが、調査報告がすべて東電から出されていることだ。こんなときに何だが、東電の情報を100%鵜呑みにできるほど、私は信用していない。放射能調査など、果たして東電が行うべきなのだろうか。疑えばきりがないが、企業の論理からすれば、都合の悪い問題は明らかに影響が懸念されない場合は積極的に表に出さないものである。

 まして、これだけの大惨事である。一企業が冷静沈着に判断できるか疑問だ。

 原発行政ということばがあるように、原発に関しては行政主導で行われている。しかし、これほどの惨事にもかかわらず、政府は処理を東電に委ね過ぎているのではないか。放射能調査、危険性の判断や避難、作物の出荷判断や補償は、政府が責任を持ってあたるべきだ。
 枝野官房長官は、出荷制限による補償は東電が行うと言ったが、金を出すのは東電でもその方針を決め、万全の態勢で補償に臨むのは政府の責任である。そんなところにも、政府が責任ある対応をしていないような気がしてならない。間違いなく、これからますます不安、不満、トラブルが増大するだろう。

 結局は、今回の震災に対する政府の危機感のなさからくる対応の甘さが原因だ。

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首相は首を差し出せ!

2011-03-20 09:21:41 | 政治にモノ申す
 菅首相がこの震災を国家の危機と考えているなら、自分の首を差し出してでも、救国体制を訴えて欲しいものだ。今の野党への入閣要請は、どう見ても自己保身にしか映らない。そんなまやかしには、乗りたくても乗れないというのが野党の本音だろう。かといって力不足の政権を放置するわけにもいかないというジレンマも当然あるはずだ。先を読む力があれば、積極的に政権に協力して株を上げる手を思いつくはずだが、残念ながら、今の野党は了見が狭い。

 一方の菅首相にしても、よくもまあ次から次に恥さらしの行動に出るものである。本気度がゼロである。震災前まで倒閣一辺倒であった野党にとって、もっとも効果的な策は、自らの首を差し出してもいいから救国体制を作って危機を乗り越えたいという心意気を見せることである。「私が総理を降りることで協力いただけるのであれば、それでもいい。何としてもこの危機を党派を超え万全の態勢で乗り切りたい」と申し入れれば、「だったらあんた辞めなさい」とは言えないだろう。まして、そこまで覚悟を決めた申し入れに協力しないとは口が裂けても言えないだろう。

 与党も野党も日ごろから政局に敏感なわりに、やることが呆れるくらい稚拙で発想が乏しい。とにかく、とにかくである、ここは何としても危機を乗り切らなければならないのだ。その心意気を少しでもいいから見せてくれることを願わずにはいられない。

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野党は菅に乗れ!

2011-03-19 09:23:11 | 政治にモノ申す
 今頃になって、菅政権は危機管理内閣を持ち出してきた。今さら何を…である。

 危機管理内閣の発想はある意味正しい。むしろ、政治家が救国に心を一つにして困難に立ち向かうためには、妥当な選択だ。しかし、問題はそのプロセスだ。今、政権側が提案しているのは、明らかに不純な動機である。野党を内閣に入れることで、責任逃れをしようという稚拙な動機である。これでは、野党もヨシ!とはならんだろう。

 震災直後に、野党に呼び掛け、自分の首を差し出す覚悟で、万全な態勢で国家の危機を乗り越えるために、政治家の力を結集したいと呼びかけるなら、野党も断れなかったはずだ。とにかく、あまりにもやることが稚拙なのだ。

 野党もみずから持ちかけると言う手は考えなかったのだろうか。ここは菅の首をとるのではなく、ダメな菅を全力でサポートして危機を乗り越えるというスタンスを国民に見せるほうが、国民の支持につながるという計算は容易になる立つはずだが、なぜかおっとり刀である。

 ようするに、与党も野党も、あまりにも危機管理意識が乏しい上に、視野が狭すぎるのだ。

 今、政局を持ち出すのは適切ではないが、この震災こそ、与党にとっても、野党にとっても、国民の信頼回復を得る絶好の機会だったはずである。普段、支持率を気にする彼らが、肝心なときにこれでは、センスがあまりにもなさすぎる。

 しかし、事態は深刻なのである。ここは野党は、与党がそう出た以上、与党の期待に反してばんばん協力して、ダメ政権の鼻を証し、日本を救うしかないだろう。
 
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