tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

日本の国債残高は多すぎるか?

2012年11月26日 20時09分19秒 | 経済
日本の国債残高は多すぎるか?
  今年のはじめ、「国債残高:資産か負債か」を書きました。結論は、政府にとっては負債、国民にとっては資産ということで、問題は政府がその負債をきちんと返済するかしないかだということでした。

 野田民主党は、かつてのマニフェストーを180度変更、財政健全化のために消費税増税を推し進めようとしています。政府は増税の方がいいでしょう。
増税でも国債発行でも政府にはカネが入りますが、国民にはどうでしょうか。今多くの日本国民は、国債の方を選んでいるのだと思います。

 何故でしょうか、国民はカネを持っています。そして、政府に貸すならいいけれど、ただ差し上げる(増税で取られる)のは嫌だ、と思っているのでしょう。
 あげてしまえば、何に使われるか解らない、しかし、貸しておくのなら、将来返してもらって、自分で使える、その方がいい。政府の無駄づかいが心配なのでしょう

 日本のような「アリ型」の国では、これは、それなりに良い所があると思います。政府は借金なのだから無駄遣いしにくいし、国民には安全確実な貯蓄手段を提供出来ます。特に国民に安全確実な貯蓄手段を提供することは今の世の中では大事なことです。

 政府の借金が増えて不健全というのはアメリカやヨーロッパのように、外国から金を借りる国の話で、日本は国民が喜んで貸してくれるのですからそんなに不健全でもありあせん。国民の貯蓄がある日本の常識は欧米とは違うのです。
 国債残高が多過ぎるかどうかを決めるのは、国民自身です。国民が喜んで引き受けているうちは多すぎるとは言えません。
 
 政府は無駄使いをしないと認めて国民が高福祉高負担をOKしているヨーロッパでも、高齢化で年金財政などが行き詰まり傾向にあります。賦課方式では高齢化には耐えきれません。勢い、積み立て方式が再び注目される様相です。そうなると今のような、不安定な貯蓄手段しかないと問題は深刻です。

 根底にはアメリカによって作り変えられた今の資本主義、マネー資本主義の問題があるのでしょう。
 金利差を利用したデリバティブで儲けようとしたら、金利は変動した方が良いでしょう。それで元本が短期的に大きく変動することが必要です。しかしそれは経済活動を著しく不安定にします。(国債残高問題をもっと本格的に考えようと思ったら、政府の信用、マネー資本主義の問題も併せて論議すべきでしょう。)

 「恒産無ければ恒心無し」は古い諺ですが、経済活動の主流が、キャッシュフロー、つまりは「日銭」などということになって、経済や経営に長期ビジョンも、安定発展も失われることが進歩ではないはずです。