tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「自衛隊も軍隊」と言いたい人たち

2015年03月28日 10時02分09秒 | 政治
「自衛隊も軍隊」と言いたい人たち
  安倍総理が「わが軍」と発言したことが問題になっています。
 私どものような、戦前、戦中に軍国主義を叩き込まれた世代では、口癖として「わが軍」という言葉が出て来るかもしれませんが、戦争を知らない世代の人間が「わが軍」というのは、新たに「わが軍」という言葉を使うようにしたい、何とかして自衛隊を軍隊ということにしたいと考えているからでしょう。

  自衛隊は英語ではself-defense forceで、forceは軍隊ですから外国から見れば軍隊でしょう。それを日本語では「自衛隊」と言うところに日本の「意思」が見て取れるのです。
 
  軍隊と言いたい背景には、国を守ることは最終的には武力によるしかない、という単純な理解があるのでしょう。未成熟な子供が、喧嘩が強くなりたいと考える段階から出ていないのでしょうか。

  戦後の日本は、戦わずして世界から重要な国と認められ、尊敬される国への道を歩んできました。いわば、子供の時代から「大人の時代」へ脱皮しようとしてきたのです。
 成熟した大人は、近所のお付き合いでも、職場の仕事でも、腕力(=arm,armed forceは軍隊)が強いことは必要ありません。人柄や、仕事上の能力で評価されるのです。

 そんな綺麗ごとを言ってもしょうがない、現実の世界は、未だ腕力の強い方が勝つ子供の世界ですよ、という人も多いでしょう。

 日本は戦後70年、喧嘩の絶えない世界の中で、腕力ではなくて、みんなに役に立ってあげることで、喧嘩に巻き込まれず、みんなから尊敬さえる国づくりを目指してきたのではなったでしょうか。しかも、それが理解され、成功をおさめて来ています。

 三百万人を超える犠牲者を出した過去の戦争の反省に立って、日本は平和憲法を戴き、「国際関係は将来こうなるべき」という平和国家の立場を一貫してとって来ました。
 これは単なる思い付きや、外国からの押し付けではなく、日本人の形成、日本文化の源流である1万余年の縄文時代の「争わない世界」に根ざしていると考えるのが自然です。

 日本がここで、腕力と喧嘩のやまない未熟の世界のレベルに、わざわざ降りていくことはないだろうと思っていますが、 舶来崇拝で進むべき道を誤りがちな日本です、国民のすべてが、本来の日本人らしく、十分に思慮深くあることが重要のように思われます。

 「戦争を放棄した日本にも軍隊が2つある。読売巨人軍と救世軍だ」などといっていた時代が懐かしくなってきました。