知識と知恵の関係:新型コロナに思う
新型コロナと経済問題を取り上げて来ましたが、世界的に見ても、状況はかなり深刻になってきているようです。WHO(世界保健機構)はパンデミックと言わなければならいのかどうか悩んでいるのでしょうし、トランプさんは、歯止めのかからないダウ平均の下落にやきもきし落ち着かないことでしょう。
当面、世界経済から日本経済まで、新型コロナ次第といった様相で、経済指標は、新型コロナの従属変数のような状態になっているので、経済動向はとりあえずさておき、些か別の事を考えてみたいと思ってしまいました。
新型コロナウィルスには「意思」はないので、それが広がるかどうかは、人間の知識と知恵で決まるのでしょう。
世界の専門研究機関が、新型コロナは、どう「新型」なのかの研究に、いま一生懸命だと思っています。
そして新型コロナの性質が解ってくれば、新型コロナについての知識の進展とともに、特効薬やワクチンの創出が可能になるのでしょう。
今恐ろしいのは新型コロナの性質が解らないままに、解っているインフルエンザやサーズ、マース、エボラ出血熱などについての知識を応用して、対策をしてるのですから、疑心暗鬼が広がるのも当然かもしれません。(空気感染するかどうかも不明です)
そこで、人間の知恵としては、限られた知識を使って、出来るだけ感染を食い止めるために「知恵」を働かせるしかないのです。
いわば、不足する「知識」を「知恵」で少しでも補おうと努力しているという事ではないでしょうか。
といった風に考えて来ますと、「知識」というのは、人間の大脳の新皮質やコンピュータのメモリの中に存在するもの、という事になるのでしょうか。
それに引き換え「知恵」は、何もないとことに人間が創り出すもの(創造性、創造能力)ということが出来るようです。(トライアル&エラーの世界でしょうか)
そして、知識の量が多く質も高いほど「知恵」の働くレベルもの高くなり、より効果的な「知恵」が出てくる可能性が高いという事ではないでしょうか。
その意味では「知恵」の創造力のレベルは、「知識」のレベルに支えられているという事になるのでしょう。
その意味では、14世紀、ヨーロッパの人口の3割から6割が死亡したといわれるペスト禍は、当時の人類の知識のレベルの然らしめた所という事でしょうし、新型コロナ禍がここまで抑えられているということは、人類の知識のレベルが高くなっていることの結果と言えるのでしょう。
必要なことは、新型コロナについての人類の知識を、より完全なものにするために、人類が「知恵」しぼること、そしてそれは人間の研究開発力(知恵の発揮)に100%依存しているという事になるのでしょう。
新型コロナウィルス問題をテーマに「知識」と「知恵」の問題を考えてみましたが、この問題は、更に一般的な形で考えていく必要があるように感じています。
新型コロナと経済問題を取り上げて来ましたが、世界的に見ても、状況はかなり深刻になってきているようです。WHO(世界保健機構)はパンデミックと言わなければならいのかどうか悩んでいるのでしょうし、トランプさんは、歯止めのかからないダウ平均の下落にやきもきし落ち着かないことでしょう。
当面、世界経済から日本経済まで、新型コロナ次第といった様相で、経済指標は、新型コロナの従属変数のような状態になっているので、経済動向はとりあえずさておき、些か別の事を考えてみたいと思ってしまいました。
新型コロナウィルスには「意思」はないので、それが広がるかどうかは、人間の知識と知恵で決まるのでしょう。
世界の専門研究機関が、新型コロナは、どう「新型」なのかの研究に、いま一生懸命だと思っています。
そして新型コロナの性質が解ってくれば、新型コロナについての知識の進展とともに、特効薬やワクチンの創出が可能になるのでしょう。
今恐ろしいのは新型コロナの性質が解らないままに、解っているインフルエンザやサーズ、マース、エボラ出血熱などについての知識を応用して、対策をしてるのですから、疑心暗鬼が広がるのも当然かもしれません。(空気感染するかどうかも不明です)
そこで、人間の知恵としては、限られた知識を使って、出来るだけ感染を食い止めるために「知恵」を働かせるしかないのです。
いわば、不足する「知識」を「知恵」で少しでも補おうと努力しているという事ではないでしょうか。
といった風に考えて来ますと、「知識」というのは、人間の大脳の新皮質やコンピュータのメモリの中に存在するもの、という事になるのでしょうか。
それに引き換え「知恵」は、何もないとことに人間が創り出すもの(創造性、創造能力)ということが出来るようです。(トライアル&エラーの世界でしょうか)
そして、知識の量が多く質も高いほど「知恵」の働くレベルもの高くなり、より効果的な「知恵」が出てくる可能性が高いという事ではないでしょうか。
その意味では「知恵」の創造力のレベルは、「知識」のレベルに支えられているという事になるのでしょう。
その意味では、14世紀、ヨーロッパの人口の3割から6割が死亡したといわれるペスト禍は、当時の人類の知識のレベルの然らしめた所という事でしょうし、新型コロナ禍がここまで抑えられているということは、人類の知識のレベルが高くなっていることの結果と言えるのでしょう。
必要なことは、新型コロナについての人類の知識を、より完全なものにするために、人類が「知恵」しぼること、そしてそれは人間の研究開発力(知恵の発揮)に100%依存しているという事になるのでしょう。
新型コロナウィルス問題をテーマに「知識」と「知恵」の問題を考えてみましたが、この問題は、更に一般的な形で考えていく必要があるように感じています。