tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

「完全な形で開催」への迷妄想

2020年03月18日 21時54分59秒 | 政治
「完全な形で開催」への迷妄想
 去る3月16日夜に行われた、G7の電話会談の後 安倍総理が記者団に対し、「人類が新型コロナウィルスに打ち勝つ証しとして、東京オリンピック・パラリンピックを完全な形で実現するということについて、G7の支持を得た」と述べたとのことで、誤解や混乱があるようです。

 私も最初に聞いた時は、すごく強気だけど、本当に可能と思っているんだろうかと思ったのですが、それは「予定通り」という言葉を追加していた一部の報道機関の報道を聞いたからかもしれません。

 だいたい「G7の支持を得た」という発言ですが、何かお墨付きを得たような感じを受けますが、おそらく、礼儀正しいG7の方達ですから、それに通訳を介してのことですから、「それはどういう意味ですか? 我が国は選手団の完全な形で送ることは無理かもしれません」などとは言わず、開催国である日本の首相が言うのですから、お気持ちを尊重しましょう、という程度と理解するのが常識的でしょう。

 だいたいいつも「丁寧に説明する」のを旨とする安倍さんがいろいろな解釈の出来ることを言って、後、何も説明しないというのは困ったものです。

 官房長官は今まで通りの準備を進める意向の様ですし、東京都も予定通りと言っている様です。文科相は「選手団を送れない国があれば、完全ではない」と言っているようですから、やっぱり1年なり伸ばして「完全な形」でやるという意味でもあるのかというのが、正解という意見もあるようです。

 しかし、いずれにしても、結局「どうするか/どうなるか」は早晩「決まる/解る」ことですから、その時安倍さんはなんと言いうのでしょうか。
 その時は、多分、お得意の「ごはん論法」で「完全な形で実現したいとは言いましたが、何時とは言っておりません」ということなのでしょう。
 しかし、その時期が遅くなればなるほど、混乱や無駄が大きくなることは避けられません。

 考えてみれば、一国の運営に責任を持つということは本当に難しい事で、「自分が決めれば、みな従う」という一強、つまり独裁体制では、世の中巧くいかないのは当然ということが次第にはっきりしてくるのではないかと思われるところです。