新春早々イスラエルで民主主義の危機というニュースです。ハマスを殲滅するまで 戦争を続けるためには政府が独裁的な権力を持たなければならなという立場から、イスラエル政府が昨年7月に可決した最高裁の権限を制限する「司法制度改革法案」、は無効という判決を最高裁が下したのです。
つまり、この法案の通りになれば、政府が何をやっても立法府はチェックできないわけで、政府の独裁的地位を決定的にするものでしょう。
事は基本法(憲法)に相当するレベルの問題で、最高裁は判決文の中で、「司法制度改革法案」は、イスラエルの民主国家としての中心的特性に重大かつ前例のない打撃を与えかねない」と述べているとのことです。
近代国家では「立法、司法、行政」の三権は「分立」というのが常識と考えられていますが、イスラエルの批評家たちにも、裁判所の独立性を無視し、イスラエルの民主主義を駄目にするという意見が多く、国民の大半も反対で、大規模な抗議運動が起きているという事です。
この法案については、アメリカのバイデン大統領もアメリカとイスラエルの関係を危険にさらすものという見解を示しているようです。
ネタニヤフ首相は、ハマスとの戦争を国の総力を上げて行う事が必要といった説明をしているそうですが。ここから明らかになって来るのは、やっぱり戦争を好むのは独裁者なのだといいう現実ではないでしょうか。
国民の大半がこんな戦争はしたくないと思っているのに、「国の総力を挙げてハマスを殲滅したい」というのはネタニヤフの心なのです。そしてそれに反対するものは疎外する。これは独裁者の特徴です。
という事ですが、こうした独裁者をリーダ-として選ばない事が民主主義国家では可能な筈です。それなのに、そういう人を選んでしまっているのです。選んだ人の中でも、後から失敗だったと思う人も大勢いるのでしょう。
問題は、それを防止するためには、何が大事かです。例えば、このブログで書いている「民主主義のトリセツ」のような事をみんなが考えなければならないでしょう。
しかし、この努力を国レベル、つまり国民に全て任せるのではなく、国の在り方について人類の持つ最も高次の機関である国連が理論的な合理性とともに相当程度の具体性、解り易さを以って、世界に明示する事を実行すればどうでしょうか。
マスコミが報道するような、民主主義を揺るがすような問題が起きたとき、あるいは年に何回と決まった時期に、「地球人類の平和と発展のために、国民は独裁者になるような人をリーダーに選ばないように十分注意しましょう」というメッセージを世界に送る事を国連の行事化するのはどうでしょう。やってみて効果が無かったら、もっと良い方法を考えましょう。