tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

喧嘩両成敗:日本の知恵

2024年01月06日 12時04分15秒 | 文化社会

ケンカ両成敗という言葉が日本にはあって、大変便利に使われています。

「お兄ちゃんが僕のお菓子を取ったから、僕はお兄ちゃんの本にマジックでバツ印を書いたんだ」というような兄弟げんかの時、親は「喧嘩両成敗ですよ。2人とも謝りなさい!」といて決着をつけるのです。

子供は両方とも、自分のやったことは「悪い事」だという事は解っていますから、それぞれに不満はあっても、それで納得してケンカは収まるのです。

この考え方を、日本以外の所で披露しても、なかなか理解されないようです。先に弟のお菓子を取った方が悪いとか、大事な本のマジックでバツ印などマジックは消せないのだからもっと悪い、と言い始めると収まるものも収まらなくなります。

ハマスとイスラエルの問題を見れば、仕掛けたのはハマスで、それを契機にハマスを殲滅するまで戦うというのがイスラエルです。そしていずれの側でも、関係ない一般人が多く犠牲になっています。しかし「両方悪い」という発言は聞かれません。

現実は「両方悪い」といった立場は取らず、主要国でも「どちらかを支援する」という立場をとるという事になるのです。その結果は、世界を二分する形になり、紛争はますます収まりにくくなります。

この違いはどこから来るのでしょうか。それは、日本の対立があれば融合・習合を考えるという伝統文化と、宇宙は神と悪魔の対立とする二分論の宗教・文化から来るという意見もあるでしょう。

しかし、文化や宗教の違いを論じてみてもそれで平和が訪れるわけではありません。少数の独裁者の意思で対立が起き、平和を望む多くの人が犠牲になるという現実は、人間社会の在り方としても極めれ不条理なものです。

現に国連は戦争を続けるべきではない、停戦こそが望ましいと言っています。しかしそれが聞き入れられないのは少数の独裁者の意識が二分論を信奉しているのでしょうか。

相戦う二分論のリーダーたちは、どちらも、自分は神の下にあり、相手は悪魔の僕だと信じているのでしょうか。それでは争いは絶えず、人類の繁栄を願う神の意志にも反するでしょう。

狭くなった地球、接触の機会の多くなった人間同士、平和共存の知恵の必要性はますます高まるでしょう。

そうした中で平和を願い、「戦争(喧嘩)そのものが悪」とする思想は世界のより多くの人々に共通な理念となっているのではないでしょうか。

そうであってみれば、日本人の育んできた知恵である「喧嘩両成敗」という考え方は、世界に平和を齎す重要な社会規範として、世界の文化の中に広め、広く共有されるように、日本としては積極的に努力すべきではないでしょうか。