岸田総理は、次期総裁選に出ないことになりました。これに対して、多くの人は岸田内閣の評判が悪く、これで立候補しても格好がつかないからと理解しているようです。
中には、政治資金問題もけじめがつかず総理総裁として責任が取れないからだろうとか、3年の在位のうち、25か月も連続で実質賃金が下がったのだから責任を取るのが当然だ、などという意見もあるようです。
しかし総じて見ますと「責任を取った」というのではなく「出ても格好がつかない」からとか、「どうせ出てもだめだろうし」といった見方が多いようです。
そういえば、今度の裏金事件でも、賃金は下がるし、経済も少しも良くならないという問題でも、政権、政府の責任という言葉は、あまり聞いたことがありません。
責任という言葉は、日本人の感覚からすれば「強すぎて」そこまで言われては立つ瀬がないから「ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」と頭を下げる程度で済ませたいし、「済ませてやってもいいか」で「済まないで済んでいる」という事になるようです。
「それも日本的でいいのかもという意見もあるかもしれませんが、お蔭で長い目で見ると国民が大変な目にあっているのに、政権には自分の責任という意識がなく結果が大変なことになってしまっているようなこともあります。
勿論、裏金問題も、実質賃金低下問題も岸田さんだけに責任があのではなく、その前からの問題の累積の結果という面が大きいので、岸田さんだけを責めても詮無いことでしょう。
しかしそう言ってしまうと、問題は解決されないので、やはり結果が悪いことが解れば、その時点で、原因の全てを明らかにし、禍根を断つことは必要なのでしょう。
日本の政権、政府は、本来、日本の社会や経済全体をより良いものにするという国民の輿望を担って、「私(私たち)がやります」と立候補したのですから当選の暁には、その実現に全力を尽くすのが役割です。
そういう意味でいうと、戦後の自民党政権はその役割を果たしたように思います。
ところが石油危機も世界に先駆けて克服、「ジャパンアズナンバーワン」などと言われるようになると政権の指導力と過信し、驕り高ぶって、プラザ合意(G5)で円切上げに安易にOKを出すような世紀の失敗をやってしまっています。
自民党の中にも、モノのわかった人はいて、宮沢メモによれば、G5から帰国した竹下大蔵大臣に、宮沢さんは「竹下さん、あなた、自分が何をやってきたか解っているのですか」と自民党要人の前で面罵したとのことです。
時の総理は「ロン・やす」で、レーガン大統領と「仲良し」の中曽根さんでした。宮澤さんの心配に関わらず、竹下さんは総理になり、後程、宮澤さんが総理になった頃には「あの時は毎日のように大幅に円高が進んで大変困りました」(宮沢回顧録)ということで日本は円高不況の中で長期経済停滞に落込んだのです。
その後、2008年のリーマンショックでは、アメリカのゼロ金利政策が齎した、さらなる大幅円高への対抗政策もなく日本経済は瀕死の数年間を過ごしました。
2013-14年と漸く日本もゼロ金利政策を取り、円高は解消しましたが、その後の経済政策はスローガン倒れで、実質経済成長は今に至るゼロ近傍を続け、実質賃金が25か月連続前年比低下という未曽有の記録も作り、この間1人当たりGDPはかつての世界ランキング1桁の常連から2023年には32位に転落しています。
これを経済政策の失敗、経済外交の失敗と言わずして何と言ったらいいのでしょうか。
はっきり言ってしまえば、これは自民党が長期政権の上に胡坐をかき、政権党としての責任、日本の社会・経済についての取るべき政策をなおざりにして、自らの票田の涵養に政策の重点を置いていたことの結果ということでしょう。
裏金問題はこのブログでも指摘していますように、選挙資金(票田涵養の資金)を政治資金という名称にして、国民の目を眩ませ、国民のためよりも、政権維持を主要目標にしていたことから派生した黒い豪華な仇花だったのでしょう。
自民党はそれでも今も「責任」などという言葉とは全く無縁で、政権の維持を続けようとしているようです。日本国民は何処まで寛容なのでしょうか。