立憲民主党のリーダーは決まりました。野田さんです。
立候補した4人は、選挙期間中は、4人で手を握り合い、団結の意思表示を示して、政権交代への強い意欲を示していると感じさせるものがありました。
所がリーダーに 野田さんが決まって、政権構想の人員配置のニュースが流れた途端、党内に不協和音が聞かれるというニュースが流れてきました。
こうしたニュースが、どの程度の深刻さのものかはわれわれには解りません。
しかし、自民党の長期支配とその腐敗状況に失望し、政権交代を待ち望んでいる人たちにとってみれば、立憲民主党で党内にリーダー選の直後に不満感は心配です。野党結束で自民党過半数割れから、政権交代へという今後に向けての、懸念の材料になりかねません。
大事をなすには人心の糾合こそが核心です。立憲民主党にとっては十分な、留意、注意、配慮が必要のように思われます。
自民党のリーダーは明日決まるのでしょうか。もともと意見はバラバラでも、選挙に強く、リーダーが決まれば、何はともあれリーダーを立てて、国会では挙党一致で動く自民党ですから、リーダーが決まればそれなりの体制を取り、内閣の支持率が下がっても、それなりの団結を見せるのが長期政権の中で体得された本能的なものといった感じですから、だれがリーダーになるかは国民にとって極めて大事でしょう。
ということで、リーダーが決まれば、いずれ総選挙という可能性で、これまでだらだらと下り坂を降りてきた日本が、気持ちを切り替えて、「坂を上ろう」という意識になるには何が必要かを考えてリーダーを選ぶ必要があるでしょう。
その気持ちの切り替えのために何が必要かというのが、今、日本人が真っ先に考えなければならない問題でしょう。
企業はたとえ超大企業でも、トップが変われば変わります。それはトップが変われば従業員の意識が変わるからです。そして従業員の意識が変わったことが、結果的に企業が変わることになるのです。
国の政治でも同じことが言えるでしょう。ということで振り返ってみますと、日本が世界も驚く上り坂を上っていた時代は、日本のリーダーが日本の行く先を決めていた時代です。
それではいつから日本が下り坂を歩くようになったのかを考えてみますと、それは「日本はアメリカについていくよりない」と日本の政府が考えるようになった時からです。
きっかけはプラザ合意です。それからの政策の問題は繰り返し書きました。日本のリーダーは、アメリカの意向を受けて動くだけですから、あとは演説のレトリックと支持層へのバラマキという迎合政策、そしてこの所は政権維持のための裏金と旧統一教会で済んでいたのでしょう。
国民は何を言っても政府は聞いてくれない、政府のやっている事はおかしいという意見は抹殺され、国民は批判は出来ても、批判するだけの無力な存在となったのです。
国民の意見が反映されない世の中で、国民はますます過激な政府批判をするようになりましたが、それは政策に反映されることはなく、無力になった国民は、下り坂を降りるだけの存在になったというのが現状でしょう。(長くなるので次回に続けます)