tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

太陽エネルギーの効率的付加価値化:SDGsのために

2021年03月14日 16時52分43秒 | 環境
太陽エネルギーの効率的付加価値化:SDGsのために
 過日「番外編」で「付加価値って何ですか」を書きました。
 その時は、布地などの500円の材料からワイシャツをミシンを使って縫製し、1000円で売れ、500円の付加価値が生まれたと書きました。

 またその後日本の伝統文化がSDGs(持続可能な開発目標)の思想によく似合うとも書きました。これはともに、日本人がもともと綺麗な水と太陽エネルギーに感謝する気持ちを大事にするからです。

 そこで今回は、地球環境の素晴らしい自然を作り出し、維持してくれている太陽エネルギーと人間の経済活動を支える基本概念である付加価値の関係をどのように考えていったらいいかをSDGsの立場から見てみたいと思います。

太陽からの恩恵、毎日、無償で地球の生態系に提供される太陽エネルギーを最大限の経済価値に転換して週末時計を巻き戻すような生態系の循環を作り、われわれ人類も、より豊かで快適な暮らしをしていくために、いかに無償で万物に平等な太陽エネルギーを、より効率的に付加価値に変換する努力をすることが、いまこそ必要になって来ているのではないかという問題提起をしたいと思っているのです。

SDGsと日本文化について書いた折、自然は、人間が適切に返礼をすれば、それに対してより豊かな実りをもって報いてくれると書きました。これは、里山や水田を作ればより豊かな生物多様性を以て我々に応えてくれますし、畑は深く耕せが深く耕すほど、更に、適切な施肥をすれば、一層豊かな収穫を保障してくれるという意味です。

 しかるに、この100年~200年人類は、地球の自然を徹底収奪することによって、当面の豊かさを選び取ってきました。化石燃料を金に換えることに狂奔し、熱帯雨林を伐採して合板などの生産を優先し生物多様性に影響を与え、更に酸素の供給にも 負の影響を与えるような行動が加速し、更には、核分裂エネルギーの利用を進めることで地球の放射能汚染を急速に深刻化しつつある状況です。

 もともと太陽光線は時間をかけて植物を育て、植物が酸素を供給して生態系の循環を支えてきていたわけですから、そのサイクルを人間が支援し、より効率的そのプロセスが進められれば、あるいは代替物、だいたいプロセスが開発されれば、同じ太陽エネルギーで、至急環境を汚染しない、より効率的で豊かな生態系の循環が可能になるわけです。

 こうして太陽エネルギーがより効率的に使われるようになれば、もし太陽に心があれば喜んでくれるでしょうし、人類にとっても同じ太陽エネルギーからより多くの付加価値を生み出すことも可能になるわけです。言い換えれば太陽エネルギーの付加価値生産性の向上という事にもなります。

 勿論現状は、太陽が無償で提供してくれ、地球の生態系維持を可能にしている太陽エネルギーのうち、人間が付加価値化している部分などは知れたものでしょうから、太陽エネルギーの生み出す多様なエネルギー(光、熱、風、水力、海流、潮夕、などなど)、の効率よい付加価値化を追求することは、まさに、今日の人類の最大の目標の一つであるSDGsに合致するものであり、それは、顧みれば日本の伝統文化を貫いてきた思想ともまさに相容れるものでもあることに気付くのではないでしょうか。

 日本が世界に役立つことの重要な基盤に太陽エネルギーの効率的付加価値化という概念を組み込む必要があるように思うところです。

森林をどう見るか:西洋文化と日本文化

2021年03月13日 00時08分28秒 | 文化社会
森林をどう見るか:西洋文化と日本文化
 かつて日本の「舶来崇拝」について書きました。
 島国日本は新しい文物はほとんどが海外から入ってくるという状態だったでしょうから、何かといえば海外の進んだ文物を取り入れようとしたのでしょう。

 特に鎖国になってまさに海外ハングリー状態で明治の開国を迎えたのですから、日本と西洋の文明格差は巨大で舶来崇拝はますますひどくなったのではないでしょうか。
「ざんぎり頭を叩いてみれば文明開化の音がする〕などと言われたのも当然かもしれません。

 しかし「文化」という面で見ると、必ずしも西洋が優れていたというわけではないように思います。

文化というのは、人間の生き方の問題でしょう。したがってその優劣は 文明や科学技術の水準とは関係なく、地球環境の進化の結果として生まれた人間が、地球の自然に対していかなる接し方をするかというのが一番大事な点でしょう。
 
 前回、自然はその恩恵に対して人間が適切な返礼をせれば、ますます豊かな恩恵を与えてくれるものだという事を書きまいたが、ここでは森林、森を例にとって考えてみましょう。

 日本では山は神聖なもの、山は雪や森に覆われていて、そこには神が宿ると考えていました。森には動物がいて、動物も人間と同じ生命を持ち、時には神としての姿も持つ仲間で、森の神や土神とともに森に棲んでいると考えられていました。

 西洋ではどうだったかといいますと、高い山には悪魔が住んでいると考え、いまはアルプスでも高くて美しく有名なモンブランも昔は悪魔の住みかと思われていました。森にはよく童話に出て来ますが魔法使いが住んでいて、子供たちを捕まえて食べてしまうといった考え方です。

 ですから山は征服するもの、森は木を伐り開いて牧草地や小麦畑などにしてしまわなければいけなかったのでしょう。こうした結果ヨーロッパ大陸の平地から森は消え、昔は赤ブナの鬱蒼な森であった地中海北岸も、森は消えて白堊の岩場となり、地中海マグロは養殖しなければ食用にならないという痩せた海になってしまったという事です。

 今は自然を大切にするので有名なニュージーランドでも西洋からの入植以前は7割が山林でしたが、今は山林は3割程のようです。

 それに引きかえ日本はどうでしょうか。今も国土の7割近くが山林で、最近は大分樹木の本数は減りましたが、人々の住むところでも神社には鎮守の森が付き物で、神は森に宿るという考え方が残っています。
 山に登るのは、悪魔を征服するのではなく、山岳信仰で、精進潔斎して、六根清浄を唱えながら、神気に触れ、ご来光を拝するという神、あるいは自然と一体化するという思想が根強く残っています。

 言い換えてみれば、自然を尊重し、自然と共存するために、自然をより豊かのものにしていこうという日本の文化と、自然を収奪し、改造して人間が住みやすい様に作り替えるという西洋の文化といった対比がみられるように思われるのです。

 今、西洋、というより欧米の文化も、自然を収奪した結果が、地球環境の変動を齎し、異常気象の原因になり、地球人類に警告を発していることに気づき、自然への返礼の必要に目覚めたようです。
 中には。部分的に行き過ぎて、クジラとイルカだけは捕ってはいけないなとという人々もいますすが、それも反省の仕方のひとつなのでしょう。

 ところで日本の中にも、日本の優れた伝統文化を単純な「欲得」のために忘れてしまい、舶来崇拝一辺倒に堕し、人類全体を包む大きな自然の大切な役割の意義をなおざりにする人が出てきていることは誠に残念なことです

 我々日本人も、改めて自然と人間の関係という大きな問題についての日本の伝統的な文化・思考方法に改めて目覚め、あらゆることをそれをより豊かな自然の実現を基準に判断するように心掛けることが必要になるように感じるところです。

1月の緊急事態宣言で消費落ち込み

2021年03月10日 22時23分32秒 | 経済
1月の緊急事態宣言で消費落ち込み
今日2021年1月分の家計調査が発表になりました。やっぱり再度の緊急事態宣言の影響が出たようです。

例年、1月は、いわば年の初めで、2人所帯の全所帯の平均の消費支出は28万円台か29万円台には乗るのですが今年は26万円台止まりでした。
  一昨年1月は296345円、昨年1月は、287173円でしたが、今年は、267760円でした。昨年同月比6.8%の落ち込みです。

 今日現在は、それからもう2か月と10日がすぎて、全面解除の時期が近付いているのですが、矢張り議論になるのは、経済活動の停滞を心配する声と、コロナの感染者の増加を心配する声の確執です。
 
 確かに緊急事態宣言をすれば、上のように消費は落ちるでしょう。消費は総ての経済活動の源泉ですから当然経済活動は停滞します。しかし、それが、感染者の増加を防ぎ、少し長い目で見れば、早い経済回復につながる可能性もあるのです。

 本当のことを言えば、緊急事態宣言を解除するときは、解除してもいい「何か」が必要なのです。決定的なのはワクチンでしょうが、ワクチンがなければ、感染を防ぐ生活習慣の徹底でしょう。それなくしての解除は、事態を「ふりだし」に戻すだけです。

 そんなことで、緊急事態宣言の解除と継続の綱引きになるのですが、今回は新しい展開の芽があります。それはワクチン接種です。

 ワクチンが成功すれば、ワクチン自体が最強の対策ですからマスクも3密や営業時間短縮も不要になり、社会は徐々に平常に戻るでしょう。

 今後はワクチン接種が早く一般化することを願いつつ消費動向を追いかけるように早くなりたいところです

ところで、2人以上の所帯合計では、収入の方は取れないので、収入の把握できる勤労者所帯の方に目を移しますと、2人以上勤労者所帯の実収入は
  一昨年1月は471124円、昨年1月は、484697円でしたが、今年は、469254円でした。昨年同月比3.2%の落ち込みです。

ちなみに、平均消費性向の分母となるか可処分所得(手取り収入)は
  一昨年1月は384005円、昨年1月は、395821円でしたが、今年は、384921円でした。昨年同月比3.0%の落ち込みです。
勤労者所といの消費支出をみますと
  一昨年1月は325768円、昨年1月は、312473円でしたが、今年は、297629円でした。昨年同月比1.4%ポイントの落ち込みです。

 自営業などの不安定に比べて勤労者所帯の方は、消費の多少落ち込みは少ないですが矢張りマイナスです。コロナ不況は影を落としています。

 ところで定点観測の平均消費性向はどうだったかといいますと、
  一昨年1月、84.8% 昨年1月、78.9% 今年は、77.5%と年々の低下です。
 
 私の印象では我が国の平均消費性向は、アベノミクスで低下傾向になり、その果てに、新型コロナが追い打ちをかけて、下げ続きとなり、日本経済の徹底的な下押し圧力になっているように感じられます。

 これでは、日本経済の回復はとても望めません。日銀がいくら金融を緩めても、緩んだカネは、株式相場などのマネーゲームに行くばかりで、菅総理が「3万円は、目標の、目標の、目標だった」と喜んでも、庶民は、そう単純には喜べないという状況なのではないでしょうか。 

 コロナが過去の話になり、平均消費性向も上昇に転じ、実体経済が活況を呈するのはいつになるのか、本気で待ち遠しいですね。

SDGsと日本の伝統文化:余談

2021年03月09日 21時17分18秒 | 環境
SDGsと日本の伝統文化:余談
 SDGs、持続化能な開発目標の大前提は先ず持続可能性でしょう。
 持続可能性ということになりますと、私は子供の時に教わったこんな歌を思い出します。
 あまり上品な歌ではありませんが

「世の中は食うて ばばして 寝て起きて
        子が親になる 子が親になる」

 これは、世の中というものは所詮こんなものだ、という事を言っているのでしょうが、考えてみると、随分意味は深いのかもしれません。
 因みに、何か解説する資料があるかと思ってネットを繰ってみましたが。この歌は発見できませんでした。

 この歌の通りに世の中が進んでいけば、人類社会の持続可能性は保証されるわけです。しかし、例えば。今回の新型コロナ禍の様な事が起きると持続可能性はあちこちで切れてしまいます。
 今日は3月10日ですが自然災害でも同じです。さらに悲惨なのは、人と人とが殺し合う戦争でしょう。

 今、SDGsで主要な課題になっているのは温室効果ガスによる地球環境の変化ですが、原爆戦争で地球環境が人が住めなくなる可能性も無きにしも非ずでしょう。( アインシュタインの予言)
 現に、一部には、化石燃料の代わりに原子力を使おうという意見もあります。

 しかし、原子力には環境汚染はないかというと、とんでもありません。核融合は別として核分裂のエネルギー利用は、長期かつ広範な放射能汚染を伴います。
簡単に言えば、時間をかけて少しづつ原爆戦争をやっておるようなものです。

 オンカロの事はすでに書きましたが(下記10万年前、10万年後参照)、放射能は10万年も残ります。トイレの無いマンションにトイレを作り結局は埋めたり海に流したり空中に放出したりで汚染は10万年後迄堆積します。放射能の半減期は決まっていますからどうにもならないでしょう。

 例えば東海事業所の汚染水も、フランスの再処理工場の汚染水も結局は海に流す以外にはないのです。
 10万年前、ホモサピエンスは何をしていたか「 10万年前、10万年後」で触れましたが10万年はホモサピエンスの歴史には長すぎます。

 SDGsの立場からは、結局、核分裂のエネルギーは利用しない方が良いのでしょう。
 こうして結論は矢張り太陽エネルギーに戻って来ます。

 太陽光も、太陽熱も、風力も、水力も、海流もすべては日々降り注ぐ太陽エネルギーの所産です。これを如何に巧く活用するかが腕の見せ所でしょう。

 「子が親になる 子が親になる」というサイクルが安定して繰り返されるためのエネルギーは、幸にも太陽が無償で提供してくれているのです。

日本の伝統文化はSDGsに良く似合う

2021年03月09日 00時19分17秒 | 環境
日本の伝統文化はSDGsに良く似合う
 現在、終末時計は残り100秒だそうです。
 SDGsが言われる所以ですが、方向転換は容易ではありません。 

 何とか終末時計を少しでも巻き戻すには、SDGsを徹底する以外にありません。
 SDGs(Sustainable Development Goals 持続可能な開発目標)の、問題は「持続可能」という言葉でしょう。

 今やっていることを続けていくことが出来るのか出來ないのか、あらゆることにこの判断が必要になるのでしょう。

 今、喫緊の課題は、温室効果ガスの削減です。このままCO2をはじめとした温室効果ガスを出し続けることは地球環境を壊滅させると予想されています。日本も2050年までにCO2排出実質ゼロを掲げました。

ところで、ここで考えてみたいのは、日本は伝統的に「自然」を大事にしてきたということです。
地球環境を守るということは、地球の自然を大事にするということです。

 地球は46億年の歴史の中で火だるまの鉱物の塊から多様な変遷を経て生物の原型が発生し、それが進化してヒトにまでなったのが400万年ぐらい前、いわばつい最近です、我々ホモサピエンスが生まれたのはせいぜい30万年ぐらい前の事でしょう。

そんな奇跡の発展を可能にした地球の自然を、ホモサピエンスがこの100~200年の間に生物多様性の存在を許さないような環境にしてしまう可能性があるというのです。
具体的にいえば、多様な生物が住めないような自然環境にしてしまうということです。勿論多様な生物の中には人間もはいることになるのでしょう。

残念ながら、今の日本人は舶来尊重のあまり、日本の伝統文化を忘れ去ってしまったような気が私はしているのです。

日本人はもともと自然を大事にして繁栄してきたのです。山川草木に霊性を認め、自分たちも自然の一部と認識し、自分たちの生存の原点が自然の恵みにあることをよく理解し、常に自然にその返礼をしながら発展してきたのです。

自然の恵みに感謝し返礼をすれば、自然はより豊かな恵みを与えてくれる、というのが基本的な思想だったのです。

典型的な例は、里山や田んぼでしょう。急峻な日本地形の山と里の中間に、動物と人減の緩衝地帯を作り、また急峻は流れを蛇行させ網の目の水路を作り、水田耕作をする。
人間が自然に手を入れることにより、人間と動物の交流の場、狩猟の場が生まれ、網の目の水路は扇状地の上にも豊かな水田が可能なるのです。
また、山を育てれば海が育つといった関係を理解し、山林面積を多く残し豊かな海産物を利用しているのです。
これらはすべて人間と自然のwin=winの関係で、持続可能な開発を可能にするものです。

本来地球上に生物が発生し、ホモサピエンスにまで進化したのは、地球に水があり、太陽が無償のエネルギーを与えてくれているからにほかなりません。

こう考えてくれば、SDGs実現の基本は、水を汚さないこと、そして太陽エネルギーを感謝しつつ最大限の利用をあらゆる科学技術の開発で実現していくという事でしょう。
毎日無償で与えられている太陽エネルギー、これを徹底利用すれば人類にはあり余る程のエネルギー活用が可能になるのではないでしょうか。

日本はワクチン政策の転換を

2021年03月07日 23時06分29秒 | 政治
日本はワクチン政策の転換を
今回のコロナ問題では、ワクチンの自国開発の問題が当初から置き去りにされているようで、私の様な素人がみても大変奇妙なことだと思っていました。

しかし、いろいろ勉強してみると、別にこれは不思議なことではなく、日本は主要国の中でワクチン後進国であるから当然という意見が多いことが解りました。

それには原因がいろいろあるようです。
日本でワクチンが完全に成功してのは種痘ぐらいだそうですが、そのほかの経験では、副反応(一般薬品では副作用)の経験が多く、そのたびにマスコミからは手ひどくたたかれ、成果の面は霞んでしまうようなことも多く、開発意欲は次第に落ちるといった結果になったようです。

もともとワクチンは任意接種では社会的効果は少ないのは当然ですが、日本政府はカネがなかったのでしょうか、有料・任意接種というケースが多く、徹底を欠いたとか、行政に柔軟性がなく、状況に応じた対応がとられなかったとか、評価が低いので行政当局もやる気を失ってきてしまったとか、国民皆保険制度の普及で、誰でも安心して病院に行けるようになり、治療の方が優先され、ワクチンへの熱意が薄らいだとか、そのせいか、製薬会社の方も、治療薬の方に力は入れるが、ワクチンには関心がなくなってきたとかいったいろいろなことが言われているようです。

政治の面でも、何時必要になるかわからないワクチン開発といった基礎的な研究には関心が薄らぎ、民主党政権の時にはスパコンの「2位じゃダメなんですか」 という言葉が有名になりましたが、同時にワクチン開発も仕訳の対象にされてしまったとのことです。(これでは野党も、ワクちン開発の批判は不可能ですね)

今の政権では日本学術会議の例に見るように、だいたい基礎的な学術といったものには興味が薄く、しかも政権に批判的な学者に対しては理由の説明もなく排除的な姿勢を取る気配があるようですから、もちろんワクチン開発などの支援は考えなかったのでしょう。

アメリカでは、あれだけも問題のあったトランプ政権でコロナに関しては、膨大なネを投じてフォード社に人工心肺装置の徹底増産を命じたり、ファイザーには巨額な補助金を出してワクチン開発を急がせるといった事はやっていたのです。

 日本では独自の開発としてはアンジェスのDNAワクチンが頑張っているようですが、変異種への対応の可能性を強調しながらも、悪条件の中で苦労しているようです、政府はどの程度の援助をしているのでしょうか。
 
矢張りこうしたパンデミック、世界を襲う恐ろしい感染症の場合には、大事なのは政権の責任者の先見性と洞察力で「仮定の問題には答えられない」などと言っていては全く役に立たないでしょう。リーダーの役割は、本来、起こり得る最悪の事態を想定(仮定)して手を打つことですから 

早急に閣議でも開いて、ワクチン研究についての方針の即刻の転換を期待したいところです。 海外産ワクチンは、なかなか来ないようですから、今からでも間にあうかもしれません。

政府はGoToとコロナについて丁寧な説明を

2021年03月05日 22時48分47秒 | 政治
政府はGoToとコロナについて丁寧な説明を
 2週間後に首都圏の1都3県のコロナ感染状況がどうなっているか解りませんが、報道によれば、政府は、GoToキャンペーンについて、当分考えていないということのようです。

 恐らく、緊急事態宣言が解除になってきているので、そろそろGoToキャンペーンの再開を考えたらどうかといった意見があるからでしょう。
 この問題については、些か真剣に対応する必要があるように思っています。

 というのも、世上では第3波の主要な原因はGoToではないかという意見が多いようですが、 政府の見解は、2回目の緊急事態宣言の直前まで、GoToトラベルによる感染者の増加は300人程度とか、そうしたエビデンスはないといったものに終わっています。
 
 しかし現実の第3波による犠牲端は甚大でした。
 恐らく政府が、GoTo再開に慎重なのは、昨年末までの説明とは違って、GoToの危険性を、今になって多少真剣に考えるようになっているのではないかと推測するところです。

大事なことは、そんな個人の推測ではなく、政府自身が、現状迄の推移の中で、GoToとコロナの関係についてはこう考えているから、これからの政府の判断はこうである、という公式な説明があってしかるべきでしょう。

 政府の繰り返す「国民に対しての丁寧な説明」というのは、そういう事ではないでしょうか。でなければ、GoTo再開を希望する業界や関係者にとって、説得力のある政策は取れないでしょう。

 一般的に言っても、政策の結果と現実の状況の関係についての国民にとって納得のいく説明は、何の場合でも当然必要ですが、特に、国民の生活と生命にかかわるコロナのような問題については、出来る限りの丁寧な説明は必須でしょう。 

 国会の場や、記者会見の場で是非お願いしたいと思っています。以上が今日の本題です。

 ところで今日は、4月5日に東京都では世田谷区と八王子市に高齢者用向けのワクチン4箱が配布され、ワクチン接種が始まる という報道がありました。都内の市区町村で、高齢者が多いからだそうです。

 ただ、4箱というのは1950人分だそうで、接種すべき高齢者人口の1%にもならない数です。
確かに政府は、高齢者には4月から接種を始めると言っていましたからその通りですが、予定が立っているのはそこまでのようですから、私の住む国分寺などはいつになるのか解りません。

 製造元のアメリカでは5月には3億人超の国民すべてに接種を終えたいと言っています。現状、日本はまさに周回遅れです。当初かあ外国頼みで、自主開発を本気でやらなった咎めでしょう。

  インドは夏までに3億人に接種と意気込んでいます。
 世界主要国のコロナ対策はすでにワクチンの時代に入っているのです。
戦後科学立国を目指し破竹の勢いだった日本は何処へ行ったのでしょう。この所の政府は何をしているのでしょか。何か情けないですね。

緊急事態宣言延長の理由と期間は?

2021年03月04日 15時07分20秒 | 政治
緊急事態宣言延長の理由と期間は?
 東京、千葉、埼玉、神奈川の1都3県の緊急事態宣言は、どうやら延長になるようです。

 菅総理にしてみれば、せっかく2か月と区切りのいいところで決めたのに、2か月ではすまなかったというのは、何か沽券に関わるような気がしていたようで、延長したくなかたようですが、残念ながら状況はそれを許さず、専門家も一都3県の知事も、とても解除出来る状態ではないという意見だったようです。

 考えてみれば、自分でも確りした理由や根拠があって決めた期間ではないのだから固執する理由も見つからなかったのでしょう、延長に切り替えたようです。

 今日の朝日新聞のトップでは「緊急事態2週間延長、病床逼迫挙げ」となっています。

 菅さんは、主な理由として「病床逼迫など改善が十分でない事など」と説明したようですが、延長期間2週間については特に説明はなかったようです。

 一国の最高責任者が、関係者や専門家の意見を聞いて「最後は私が決めます」いつものセリフをテレビでも繰り返しておられましたが、それにしてあまり納得性が無いように思われてなりません。

 総理大臣の言われることにケチをつけては申し訳ないのですが、まず、緊急事態延長の主な理由が「病床の逼迫」というのは大変奇妙に聞こえてきます。

 4人の知事が最も気にしているのは、「新規感染者がなかなか減らない」ことです。それはテレビを見ていればわかります。解除してリバウンドになるのが最も恐ろしいのです。それなのに、わざわざ主な理由に、なぜ「病床の逼迫」というのでしょうかよく解りません。

 病床に余裕があれば、新規感染者が増えても対応できるでしょうが、それでいいのでしょうか。新規感染者が増えればまたいずれ病床はひっ迫するのです。そういうリバウンドが一番恐ろしいはずでしょう。

 もうひとつ気になるのが、「2週間延長」という期間の設定です。
 既に3月7日まで2か月と決めたことについても、決して厳密なものではなく、現実は、早く解除出来る所もあり、延長しなければならないところも出てくるのです。

 勿論早期に実績を上げることは大事ですが、決める期限になにか合理的な根拠があるのでしょか。そんなものが見つかるはずはありません。つまりは何となく適当な期間を、最後に誰かが腰だめで決めるのです。そして決めたからにはとそれに縛られたりするのです。
 みんなが心を合わせて努力する目標なら、関係者みんなが合意して「努力目標」を決めればいいのです。

 菅さんは、安倍さんの「決める政治」の信奉者なのでしょうか「最後は私が決めます」と付け加えるのがお好きです。国会でも「私の責任で決めます」ともよく言います。その場合の責任の範囲は説明もなく、それを問われることもないようです。

 この「私が決めます」という言葉を、テレビできくたびに 違和感というか、恐怖感というかそんなものを感じ ていました。
 そうしたら、今日の朝日新聞の「朝日川柳」に
「判断を あなたがするから 心配だ」 というのがありました。
 矢張り心配しておられる方はいらっしゃるようです。

付加価値って何ですか(当ブログ番外編)に追加

2021年03月03日 20時43分19秒 | 経済
付加価値って何ですか(当ブログ番外編)に追加
 昨日の掲載分は、尻切れトンボになっていました。
大変申し訳なく、お詫び申し上げます。

 尻切れトンボになっていた部分は、昨日のブログに追加致しましたので、ご容赦の上、お目通し頂ければ幸甚です。(tnlabo) 

付加価値って何ですか(当ブログ番外編)

2021年03月02日 23時24分58秒 | 経済
付加価値って何ですか(当ブログ番外編)
 付加価値って何でしょう。解りにくいようですが、こうやって見ますと、何だ当たり前の事じゃないか、となります。

材料500円:布地 糸 ボタン
↓ 
縫製:人間(労働) ミシン(資本)                                                            ↓
製品 1000円:ワイシャツ


 布地からワイシャツを作ります。材料は、布地、糸、ボタンです。材料費は500円です。
 それを縫い上げてワイシャツにします。使うのは人間の労力とミシン(機械=資本)です。
 ワイシャツが出来上がりました。1000円で売れました。

 人間がミシンを使って500円のものを1000円にしたのです。材料が製品になることで500円の新しい価値が生まれたのです。
 これは、人間が働く事によって新たに付け加えた価値ですから「付加価値」value addedというわけです。英語の直訳ですね。

 この付加価値を作ったのは人間です。ですから500円の付加価値は縫製をした人間のものです。
 
ではその人は、500円を飲んで食べて使ってしまうでしょうか。その人は考えました。ミシンが壊れたどうするかです。そこでミシンが壊れるまでに新しいミシンを買えるだけのカネは貯金しておこう。

 あたらしく買うときは、もう少しいいミシンが良いな。自動で刺繍が出来たり、厚地のものも縫えた方が良いなどと考えて、少し余計に貯金をすることにしました。200円貯金して、後の300円は使ってしまってOK ということにしました。

 つまり、付加価値は2つの部分に分けられることになるのです。
① 自分の生活に使う:これを労働への分配と言います
② 事業の継続のために貯金する:これを資本への分配と言います

 これは個人が仕事をする場合ですが、これを会社にすると
① 従業員に支払う人件費(給料など300円)
② ミシンの買い替え資金(減価償却費100円)、高性能ミシンに充てる資金(利益100円) 
ということになるのです。

 減価償却費は今使っているミシンがスリ減っていく部分に対応するものですからコストと考えますと純付加価値は人件費と利益(合計400円)ということになります。

・・・(以下追加分)・・・
(減価償却費の入った付加価値は租付加価値、減価償却費を除いた付加価値は純付加価値と言います)

 ということで、純付加価値は人件費と利益の合計です。

 会計上の視点からは、利益は資本費(人件費は人間に払う費用、利益は資本に払う費用)で付加価値は人件費と資本費の合計となり、資本費には自己資本と他人資本があるので、他人資本には金利や賃借料などを払うので付加価値の定義はさらに複雑になり解りにくくなります。

  付加価値の正確な理解を 付加価値と利益などもご参照下さい。


金融業と付加価値:2 マネー経済の行方は?

2021年03月01日 17時31分01秒 | 経済
金融業と付加価値:2 マネー経済の行方は?
 例えば戦後の日本を考えてみましょう。あらゆる物資が足りなくて、その生産が必要でした。多くの人が中小企業を起こし、銀行から金を借りて設備を整え、生産を始めました。10年後には「もはや戦後ではない」という言葉が流行り、日本は戦後の高成長の時代に入りました。

 技術革新に乗って、家庭電化製品から自動車まで、需要に追いつく生産のために企業は銀行から金を借り生産設備を増強してきました。製品の多くは輸出もされました。
 
 しかし次第に製品も飽和状態になり、輸出には海外の圧力もあり、安定成長時代に入ると生産増強のための資金需要は減り、企業は余裕資金を持つようになり、銀行から金を借りる必要は減少、資本蓄積が進み、カネ余りの時代に入ります。

 金融界のスローガンは「銀行よさようなら、証券よこんにちは」といったものになってきました。

 この辺りから、金融業界の変質が始まるのです。
 銀行が生産設備に融資し、生産が増え、経済(GDP)が成長し、経済成長の成果から金利を払い利益を出し、賃金を引き上げるという、実体経済の成長、付加価値の増加がみんなの収入の原資となる段階でした。
 銀行が融資という活動で付加価値生産増(経済成長)に貢献した段階です。

 ところが融資の対象が減り、おカネは証券会社や投資銀行に流れ、金融業自体も、また融資先も、実体経済の生産活動ではなく、証券投資で利ザヤを稼ぐような活動が多くなります。
 そして金融業の資金活用は キャピタルゲイン目指すことに変わってくるのです。

 こうして金融業は付加価値生産から離れて、お金の移動(富の異動)が主な仕事になるのです。此の段階が金融資本主義とかマネー経済とか言われる段階で、金融業は付加価値を作らなくなるのです。

 世界の現実の動きを見て来ますと、こうした動きをリードしたのはアメリカで、実体経済の弱体化で貿易収支が赤字になり、その赤字をマネー収支(資本収支)で埋めようとして金融工学などを発達させました。

 例えば、信用力の弱い証券を高い価格で海外に売り、結局その価格が暴落して、それを買った世界中の金融機関や個人が大損をするというリーマンショックが起きました。
 その結果、世界の実体経済は深刻な影響を受け、実体経済(GDP)はマイナスになりました。 

 金融業は金融工学の失敗で、実体経済の付加価値生産のシステムを壊し世界経済をマイナス成長に追い込むような事もしてきたのです。

 それが世界恐慌につながるのを防止しようとする政策がアメリカのゼロ金利政策、日本の異次元金融緩和政策です。
 然しそれは更なるマネー過剰を齎し、先日のアメリカのロビンフッド事件の様なマネーの異常な活動につながっているのでしょう。

 歴史的に見れば、貨幣を発明し、金融業を作り上げ、人類社会の豊かさ、快適さの実現に多大な貢献をしてきた人類は、蓄積したおカネ、それを扱う金融業が付加価値生産から離れていくのに従って、おカネというものをどう活用して行ったら良いか迷ってしまっているという事になってしまったようです。

 こうした金融業の在り方の変化(進化?劣化?暴走?)をどうコントロールするかは、これからの人類社会に与えられた「大きな課題」ではないかという感じがするところです。
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追記:マネーの活動、金融業の活動を、実体経済に即したものだけに限定していくという考え方は、G7、G20などでも、特にリーマンショック以降、いつも出されているところですが。
さて・・・