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さようなら原発ヒロシマ集会

2018-03-11 | まいにち

今日は東北大震災から7年目の3月11日、弁護士会館で開かれた

さようなら原発ヒロシマ集会に参加してきました。240人の会場はいっぱい、立ち見の人もおられました。

福島現地から人見やよいさんが報告と訴えをされた後、おしどりマコ・ケンさんのトークショー。

おしどりマコ・ケンさんは夫婦の芸人コンビ。マコさんは鳥取大学医学部生命科学科の出身(中退)。原発事故後の政府の「直ちに問 題はない」発言に違和感を覚え、会見に出席するようになった。11年4月19日、会見で原発から上がる白煙について質問し、3カ月後、大気中に放出される放射性物質の数値を東電から引き出した。

福島県で取材した母親らの声を元に、子供たちの甲状腺被爆に関する問題も追及。東電会見取材は600回以上に上り、原発事故被害者の集団訴訟も追いかけている。マコさんが会見取材、執筆、ケンさんは写真撮影などを担当する。

東電会見で質問するマコさんの姿がドイツ人関係者の目に留まったのがきっかけで、14年に核戦争防止国際医師会議(IPPNW)他のサイトへドイツ支部主催の国際会議に招かれ、マコさんが福島の現状について講演。その後もドイツを毎年訪れ、会議や学校で事故後の状況を伝えている。16年、第22回平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞他のサイトへを受賞した。

まあ、よう勉強してはります。ここまでいかんでも僕ももっと勉強せなあかなあ・・・とおもいました。

市民病院でお昼を食べて、午後は原爆ドーム前の集会に参加、デモ行進もあったんやけどちょっとしんどくなったんで中座。

今日は6879歩、4.4㎞ 

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1973年,74年の手話サークルあすなろ

2018-03-11 | 手話

部屋を片づけていたら、手話サークル会報の「創刊号」が出てきました。1974年4月15日付です。

 中を開いてみると今は県ろうあ連盟老人部長の川本忠夫さんが、当時は広島市ろうあ協会の青年部長「福祉の向上のために」と題して「・・・一般社会の中で、堂々と自分の意見を言い、視野を広げてゆけるか」と社会教育として青年講座を開くことを紹介されています。この講座はろうあ協会青年部の要望で広島市の青少年センター事業として始まったのでした。

 また、あすなろのレクリェーション係、会計、会報係・・・などの紹介。当時のあすなろ事務局は県社協の中にありました。

 当時(1973年)学習会記録もあります。5月23日には「5月から会費100円」とか6月20日には名称あすなろと決定!!とも。「ちぐさ」というのも候補とした上がったようです。

 ・・・てな具合でなかなか片付いてはくれません。

 

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