Rehabilitation
目覚めて意識と身体とを統括する僕が隅々まですっかり覚醒するのを待ってから、この頃は朝毎に行う最初の日課である行為のように、OTとして働く息子にアドバイスされた両肩の弾性維持に効き目のある運動をする。
それはこういう風に行うのだ。左右両方の掌を拡げ、先ず前方の空間を硝子を磨くみたいに丸く滑らかに掻き混ぜる。右回りに10回左回りに10回円を描く。心を込めてゆっくり、愛おしく。
次に下の方の空間を撫ぜる。下の方の丁度広げた掌が密着する位置に机の面があるとimageし、その面を鏡面に換えるが如く!の気持ちでゆったりと慌てず丁寧に8の字を書き続ける。其処に心が映り込むまで一心不乱に拭き込む。
それがひとまず終了すると、今度は両手を上にあげる。余りの嬉しさに思わず万歳する様に優しく腕を伸ばして空を撫でる。丸く円く大きく小さく、空の蒼が神秘のblueに輝きだすようにと。天地の広さを網羅する様に掌を拡げ、ゆっくりと肩の筋肉と筋と腱をほぐして肩が円滑に活動modeに移行するべく誘う。
息子がOT(作業療法士)の国家資格を取り県内のRehabilitation専門病院に勤務し始めて10年目になる。仕事をこなしながら夜間大学に通い、更なるリハビリという職種の更に奥へと分け入ろうとしているのだが、今迄息子に頼るなど父としてのプライド(何という偏屈な、吹けば飛ぶような小さな塊よ)が邪魔をして対処法を訊きもしなかった。
ところが、去年10月のギックリ腰の辛さと、霜月から始まったバネ指の神経を逆撫でするようなしつこい痛みと、その上に(三重苦のように)今年に入って如月の末ぐらいから感じ始めた右肩の時折の千切れそうな痛みと常態化した鈍痛。事ここに至っては、何のプラスにもならない父親の自負など無価値に等しいと観念。とうとう(仕方なく・・)梅の香りがそこはかとなく心を酔わせる宵に息子のadviceに縋ったのだ。そこで先に書いたリハビリの方法と順序を学んだ。備わったそれぞれの機能を最大限に生かし、健やかなる老いを生き抜くためにはやはり相応の努力は惜しまぬこと!と、子に諭された次第ではある。
それから毎日の朝晩に冒頭に披露した掌運動による肩周辺のリハを続けている。朝夕の1万歩を目標に掲げたウオーキングと同じように、その行為が身体と心に沁み込んで苦も無く熟せる様になるまで頑張ってみようと決意している。そうしてそれが新たなるチカラ!!として還付される実感を持って生きたいと。
幾つになれば・・はそれぞれの関係によって区区だろうが、いみじくも誰かが残した言葉のように「老いては子に従え!」の教えは貴重なもので、僕にはとうとう一つの名言になった。まだ全てを手渡すつもりは毛頭ないけれど、確かに今回の一部始終を通じてその格言を徐々に受け入れるべき必要があると悟るきっかけにもなった。多分ほんの少しづつだろうが・・。
余談だが、ぎっくり腰は三月ほどで殆ど神経に障る痛みは感じなくなった。バネ指は心配してくれたりアドバイスをくれた人の想いも手伝ったかのように、ブロック注射という最後の手段の一歩手前で、第二関節のバネのような痛みを伴う感触は消えて常態化していた不愉快の素も有り難いことに無くなりつつある。
問題の肩周辺も日常生活に支障はないほどに苛立ちは軽くなって、コツコツと継続中のRehabilitationのお陰かも知れぬと・・。
04/18 07:18 まんぼ