降って来るもの

写真と散文とぽえむ

「KEIZOKU」

2019-05-28 05:57:05 | 随想

             「KEIZOKU」


 それがチカラなのかは良く判らないところだが、僕が”blog”と言う媒体に巡り合い、其処を通じ様様を発信するようになって最早7年と4か月の歳月が過去へと傾れていった。

 あっという間だったような感じもするし、ひとつひとつにタイトルを付けた記事の数が、今朝のこのタイトル「KEIZOKU」で”3495"になるという数字を思えば、”2600余日”のその年月と日時は大いなる質量感で迫ってきたりもする。

 きっと相性ピッタリのこの上なき「相棒」であり、他に類を見ない程の「良縁」だったのだと思う。そうでなくして、一日一タイトルの目標を遙かに凌駕して今も継続中という事実は語れない。

 ブログ友達からのmessageは同じように言葉を変え、想いを伝えてくれたcommentは僕のノートと心の石板に”2950”を刻んで今も記事のUPの度に、期待と喜びを孕んで「KEIZOKU」中なのだ。

 奇蹟の様に知り合えたhitoは、両手両足の指の本数では到底足りない程を数える。もはや奇蹟とは呼べない程の友達の数になった。個人情報という金庫のカギを渡してくれ、ココロで通じ合える幾人かのhitoにも巡り会った。それこそが奇蹟を含んだ一期一会の邂逅だと言えよう。それは、まるで幼馴染の様に、同じ時代を生きる同窓生の様に、限りある人生を共に歩む仲間の様にとても大事な「KEIZOKU」からのプレゼントになっている。

 その数字こそが、僕の人生の曼陀羅にliveで次々に織り込まれ、その一本一本が煌めき輝く艶ある繊維として縦糸になり横糸になって間違いなく僕のinochiを維持し、錬磨し、豊穣にし、飾ってくれるのだ。

 その全ての交わりが、その全ての係わりが、今を生きる僕の原動力になっているとしたら、「継続は力なり!!」の金言は、実に誠の光を帯びてそれを僕に付与し続けるのだ。

                         R1 05/28 05:57 万甫

コメント (2)
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