降って来るもの

写真と散文とぽえむ

砂時計-一握の砂-

2019-08-10 06:30:57 | 随想

~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます

定刻の5時過ぎに目覚めて、何時もの様に珈琲をメーカーにsetし、顔を洗った後に撮った今日の朝デス。

もう何日続いているのか、記憶も爛れていますが・・

もう暫く続きそうな気配

此の星の、此の惑星の上で生きてゆくしかない身。いろいろ工夫し、知恵を駆使して生き延びてゆきましょう、お互い

さてさて、朝の挨拶に伴う感慨はこれくらいにして、ブログ「NO3617」の謂れに取り掛かりましょうぞ

この間の”湖国・長浜”での祝賀会で三重の娘たちから好きなものを!と貰ったカタログから選んだ品物が届いた。

goldの砂が(TOKIは金なりっていうでしょう)時間を刻む「砂時計」が。

3分間がどれぐらいの体感なのか何度かひっくり返しているうちに・・、脳裏に鮮やかに浮かんできた詩歌が

僕が”書くこと”の夜明けの風景に巡り会ったのは

十六歳というまだ瑞々しい柔らかな情感を熟成中の明け暮れの中で、この歌集に出合ったから。

そう、石川啄木の歌集「一握の砂」に。

十代の宝物のような感情の中に、静かに沁み込んでいった哀しみと切なさと・・。

例えば、

東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる

砂山の砂に腹這ひ初恋の いたみを遠く 思もひ出ずる日

いのちなき砂のかなしさよ 握れば指の あひだより落つ

これらのUtaに出合って夢中になって短歌や、その後の”宮沢賢治”の影響を色濃く受けて詩を書き始めた頃。

カタログを見ていて思わず甦った青春時代の彼是。

で、迷わずこの黄金の砂が奏でるTOKIの調べを贖ったのだ。

眺めるたびに、三分を繰り返すたびに、半世紀前の自分へと、瑞々しい時代の郷愁へと導いてくれる、此の「⏳」を

08/10 06:30 万甫

コメント (4)
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