囲碁きちの独り言 Ⅱ

趣味の旅行、うたごえ、囲碁の事や日常の出来事を記録する。

5月31日は、北浦和に行きましょう!!!

2015-05-17 06:40:34 | 憲法9条、大好き!
安倍政権は、「安保法制」と称して、戦争する国造りをごり押ししています。そんな自公政権に抗して、「戦争はもういやだ!」「子や孫が戦争に巻き込まれるのはごめんだ!」「憲法を守って、平和なに日本を!」などの声が日増しに強まっています。

そんな声を集めての埼玉県での集会です。



5月31日(日) 午前10時 北浦和駅西口 北浦和公園
 
に集まりましょう。



呼びかけ人には、所沢在住の方も沢山、名を連ねています。
ご都合のつく方は、一緒に参加しましょう!

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父が生きていたら・・・?

2015-05-17 06:29:45 | 日記

来週、私の父が亡くなって15回目の命日を迎えます。命日は平日ですので、子どもや孫とお墓参りに行きました。




明治45年生まれの父ですが、太平洋戦争中、30歳代になって、「赤紙」が来て、こども3人を残して、徴兵されました。




父親の軍歴です。徴兵後、中国の当時の「満州に」に配属されたようです。ここで、チフスにかかり、朝鮮の日本に一番近い島? の済州島に転属されたようです。
もし、チフスにもかからず、済州島に行かなければ、敗戦後シベリヤ抑留だったかもしれません。病気のため済州島に転属になり、敗戦後1年にもならず、帰国することが出来ました。
私の母方の叔父は職業軍人で海軍に行き、戦死。遺骨も戻りませんでしたが、お墓だけはとてつもなく大きいのには驚きました。

同じ菩提寺に眠る義父のお墓参りをしました。




義父は戦争中は、飛行場の工員として働いていました。その為、徴兵されることはありませんでした。飛行場はアメリカ軍の空襲で焼失し、敗戦と同時に義父は職を失いました。敗戦後、働くところもなく、しばらくして東京の小さな町工場に働き口を見つけました。安い給料で、子どもたちを育てるのに大変な苦労をしたそうです。

こんな戦争体験をした父や義父が生きていたら、今の安倍首相がやっていることをどう思うでしょう。生前、「戦争だけはもうごめんだ」と言っていましたので、安倍首相の「戦争する国つくり」に激怒するでしょう。

そんな父たちの気持ちもたいして、「平和憲法まもれ」の運動を進めていきたいと思いました。
墓前に「非戦平和」を家族で誓いました。




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