囲碁きちの独り言 Ⅱ

趣味の旅行、うたごえ、囲碁の事や日常の出来事を記録する。

これも、「平和の俳句」

2015-11-17 19:48:53 | 囲碁きちのつぶやき

市の長生クラブ連合会の新聞が配られて来ました。長生クラブの新聞は面白くないので、あまり読まないのですが、今回は「俳句」の欄に友人の名前を見つけました。



「市長連俳壇」と言うページでした。「市長生クラブ連合会俳壇」を略したもので、別に「市長」とは関係ありません。


百の家百のともしび終戦日  やちよ

これが友人の作品です。私は、この作品も立派に「平和の俳句」になっていると思いました。
作者は、戦後生まれの方です。
私は、戦争を体験しているので、この句を読んでこんな感想をもちました。
敗戦間近の時期、米軍の爆撃機が本土に近づくと「空襲警報」が発令されました。1944年、1945年は連日この空襲警報が発令されました。どの家も、白熱灯の光を黒い布で覆い、光が外に漏れないようにしました。いよいよ、米軍機襲来となれば、灯を消して、防空壕に逃げ込みました。こんな日の連続で、幼いこどもながら、とても恐ろしくおもった毎日でした。

1945年8月15日、敗戦。この日から、電灯を黒い布で覆う必要もなくなりました。それだけで、多くの国民が明るい気持ちになりました。

この作品は、そんな光景を詠んだのかも知れません。でも、作者は戦後生まれですから、そんな情景は知らないと思います。戦争体験者に電灯を隠すことを聞いて、そんな必要もない「平和な」今の時代の大切さを詠んだのかもしれません。

この新聞には、その他にこんな作品もありました。

 赴きしまま帰らぬ叔父や終戦日

 原爆忌義父の手帳のありしこと

 終戦忌七〇年の老い深し

 敗戦忌涙する父眼裏に



これらはいずれも「平和の俳句」だと思いました。
コメント
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