囲碁きちの独り言 Ⅱ

趣味の旅行、うたごえ、囲碁の事や日常の出来事を記録する。

茨城近代美術館へ・・・

2021-05-20 16:57:10 | 旅行
連れ合いとふたりで茨城に小旅行に出かけました。
梅雨の走りの悪天候で雨にたたれました。

初日も雨でしたので水戸市茨城近代美術館に行きました。
企画展は「日本画の150年」でした。



私は絵画についても無知ですので、そもそも日本画とはどんなものか も分かっていません。
墨絵みたいなものだ と思っていました。連れ合いは画布と染料が油絵と違うのではないか と言っていました。
会場を2時間かけてゆっくり半焼しました。



多分、都内の美術館ではのんびり、じっくり鑑賞することは出来なかったでしょう。入館者は少なく日本画を存分堪能しました。そして、改めて「日本画とは何なのか」?がわからなくなりました。

帰宅後、ネットで調べたら「日本画のはっきりした定義はない」ないようです。

常設展にはロダンの「三つの影」も飾られていました。



とっても立派な美術館でした。

因みに、ネットでは日本画についてこんな記述もありました。参考までに・・・。

「日本画」とは、1870年代にヨーロッパからもたらされた「油彩画・西洋画」に対して、それまでの日本にあった図画に対して用いられた用語であり、実は比較的新しい言葉なのです。そして、その定義はあいまいなまま用いられることも多いです。


アメリカの美術研究家であるフェノロサが1882年に講演で使った Japanese painting の翻訳が「日本画」という言葉の初出だそうです。この講演でフェノロサは次のような点を日本画の特徴として挙げ、優れたところとして評価しました。

1.写真のように、写実を追わない。
2.陰影が無い。
3.鉤勒(こうろく、輪郭線)がある。
4.色調が濃厚でない。
5.表現が簡潔である。

フェノロサの通訳と助手をしていた岡倉天心は、1890年に東京美術学校(現在:東京藝術大学)の校長になり、日本美術院も作りました。岡倉天心が考えた「日本画」は、旧来の技法や様式を守るだけのものではなく、西洋画と対抗できるような「日本の絵画」としての「日本画」でした。
その意味での「日本画」は明治維新以降のものであり、例えば江戸時代の画家(絵師)の作品は「日本画」ではないということになります。ですから、例えば平安時代や奈良時代に描かれた絵巻物などの古典作品で日本的な主題を描いた絵はなんというのでしょうか?
それらは、「大和絵(やまとえ)」と呼ばれる絵になります。当時中国や朝鮮半島から渡来した技法や様式を「唐絵(からえ)」と呼び、それに対応する日本的なものを「大和絵」としました。呼び方やその区分は時代によって異なりつつも、海外から新しく入ってきた画風に対し、旧来のものを【日本の伝統的なもの】と考えるパターンが繰り返されてきたのです。
コメント
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