我が家に小さな庭には、日よけと隣家からの目隠しを兼ねて、藤の木が植えられていました。
5月の連休頃に沢山の花をつてていました。夏はたわわな伸びた葉が日よけになっていました。
この藤の木は、40年以上前に、母親が実家の裏山から苗木を採ってきたもののようです。母親にとっては、生家や若いころを思い出す貴重なものだったのでしょう。
しかし、可なりの老木になりました。
何よりも、家主が高齢化し、手入れが難しくなりました。生い茂った藤の葉の先は、我が家や隣の家の軒先にドンドン伸びて行きます。そのため、家屋を痛めたりもしています。
家主が、元気なうちに・・・ と思い、藤の木を切ってしまうことにしました。
ご近所のNさんにチエンソウーで切ってもらいました。木ばさみで葉先や小さな枝を落し、最期は幹をチエンソーで切りました。
藤伐採後の庭です。
母親の思い出を切り刻んだようで申し訳なく思いました。
そして、彼岸の中日に、植物とはいえ、藤の命を絶ったことに後ろめたさを感じました。
切った木々は、直ちに市のゴミ焼却場に持ち込み、処分しました。
なんとも複雑な気持ちの上、とても疲れた一日でした。
5月の連休頃に沢山の花をつてていました。夏はたわわな伸びた葉が日よけになっていました。
この藤の木は、40年以上前に、母親が実家の裏山から苗木を採ってきたもののようです。母親にとっては、生家や若いころを思い出す貴重なものだったのでしょう。
しかし、可なりの老木になりました。
何よりも、家主が高齢化し、手入れが難しくなりました。生い茂った藤の葉の先は、我が家や隣の家の軒先にドンドン伸びて行きます。そのため、家屋を痛めたりもしています。
家主が、元気なうちに・・・ と思い、藤の木を切ってしまうことにしました。
ご近所のNさんにチエンソウーで切ってもらいました。木ばさみで葉先や小さな枝を落し、最期は幹をチエンソーで切りました。
藤伐採後の庭です。
母親の思い出を切り刻んだようで申し訳なく思いました。
そして、彼岸の中日に、植物とはいえ、藤の命を絶ったことに後ろめたさを感じました。
切った木々は、直ちに市のゴミ焼却場に持ち込み、処分しました。
なんとも複雑な気持ちの上、とても疲れた一日でした。