日中友好協会所沢支部の満蒙開拓平和記念館を訪ねる旅、高齢者ばかりでしたで見学後は昼神温泉に泊まり、交流を深めました。
翌日、長岳寺を参拝しました。残留孤児探しや遺骨収集に生涯をささげた山本慈昭さんが住職をしていたお寺です。
天台宗の古刹ですが、いかにもひっそりと建っていると言う感じでした。
狭い境内の片隅に記念碑がありました。
碑文を読むにつけ、満州で亡くなられたり、取り残された方々の悲しさが伝わってきました。
映画にもなった「望郷の鐘」の鐘楼もありました。
私も「望郷の鐘」をつき、犠牲になられた方々のご冥福を祈りました。
満蒙開拓団の悲劇は戦争の悲惨さを凝縮していると思います。運よく帰国した開拓団の方々は戦後、浅間高原、那須高原など想像を絶する苦労の中で開墾地を切り開きました。その労苦は今でも引き続いていると思います。
「不戦の誓い」を今こそ世界に発信してゆくのが、私たちの責務だ と思いました。
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ウィキペディア(Wikipedia)の長命寺の項からの抜粋です。
昭和12年(1937年)山本慈昭、長岳寺の住職となり、国民学校の教師も兼務した。昭和20年(1945年)教師として妻と二人の娘を伴い、満蒙開拓団に加わり、敗戦逃亡生活、シベリア抑留を経て、昭和22年(1947年)帰国、逃亡時の混乱で離れた、妻と娘二人の安否を確認するが、死亡したとの報告を受ける。昭和39年(1964年)中国へ遺骨を拾いに行くも認められず。中国残留孤児より日本の家族を探してほしいとの手紙を受け取り、孤児と日本の家族を引き合わせようと心に決めて行動する。昭和45年(1969年)長女の生存も確認、昭和57年(1982年)再会する。