明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(233)整備完了が106台、未整備が7台、合計113台

2011年08月17日 10時00分00秒 | 明日に向けて8月1~31日
守田です。(20110817 10:00)

昨日も自転車集めが着実に進みました!
森さんからの報告をお送りします。京都OHANAプロジェクトとして陸前
高田に向かう思いを書いてくださっています!

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OHANA通信 Vol6 8月16日(火) 五山送り火の今日 陸前高田を想う

こんにちは。京都OHANAプロジェクトの森拓哉です。

活動4日目も無事にに終わりました。
現場の管理を頂いた田中一成さんからのレポートです。

***

今日は、午前中は僕とジャムジャム片桐くんとイワイサイクル秋山さんの3人でしたが、
昼からEIRINの松浦さんと光明さんが来られて、夕方からは、サイクル協会の井原
さんも来られました。

作業はスムーズにはかどったと思います。
昨日から変わった点は、サドルにガムテープを貼って番号が入ってたのですが、粘着が
溶けて、サドルにこびり付いていたので、全て剥がして、紐に付けて番号を振りました。

自転車に関しては、ジャムジャムさんが5台、14日にも来て下さった安部さんが2台と
終わり間際イワイサイクルさんが7台持ってきてくれました。
完了が106台 未整備が7台 合計113台ある状態となってます。

***

113台!前回の114台を上回るまでもう一歩、一台でも多く集められるよう、
最善を尽くしていきたいと思います。
とはいうものの、メンテナンスが必要な自転車を受け付けられるのは、8月17日(水)の
明日夕方までが限界と考えています。

さて、話が変わるのですが、今日は五山送り火の日でした。陸前高田市の松の木を燃
やす、燃やさないの問題では、何とも行き場のない気持ちになった方も、多いのでは
ないでしょうか?

今回お届けする大槌町は陸前高田市の約80km北に位置しています。
22日に伺う予定をしている気仙沼市は、陸前高田市の南20kmくらいに位置しています。

ん?ということは通り道だ! ということに、昨日、世間話をしていて気づきました。
せっかく通るのに、素通りするのも何か後ろ髪を引かれる想いがあります。

そこで、急きょまとまった台数ではないですが、10台程度をお届けできないか調整を始
めています。
デリケートな問題です。責任をとることもできません。

何ができるかは全く分からないのですが、何もしないで素通りするよりは、行動するこ
とを選びます。
せめて、通りすがり、出会った陸前高田市の方に、自転車をお渡しして、一人の人として、
自分たちの気持ちをお伝えすることくらいはできることです。

今日も一日ありがとうございました。
明日も良い一日をお過ごしください。


京都OHANAプロジェクト
森拓哉

<今後のスケジュール予定>

8月17日(水)~18日(木) 自転車の整備
8月19日(金)       自転車の搬出&メンバー岩手県入り
8月20日(土)~21日(日) 大槌町の仮設住宅で自転車の配布
8月22日(月)       陸前高田市・気仙沼市訪問の後 京都へ

ホームページ : http://ohana-kyoto.net/blog/
★中国在住で活躍中の松本ひでちゃんが、一気にパワーアップしてくれました。
ご覧下さい。

みんなの千羽鶴プロジェクト : 一口1,000円のプロジェクト支援。
http://www.success-running.com/news/2011/07/senba.pdf
クレジットカード決済に対応しました ⇒ http://p.tl/N0-j

フェイスブック : http://www.facebook.com/kyotoohana
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展開資金をカンパして下さる方は下記にお願いします!

京都銀行 上桂支店(カミカツラ支店)
普通 4041989 京都OHANA プロジェクト大槻祥子

(この「明日に向けて」を読んで振り込んで下さる方は、振り込む際
に名前の前に、311という番号を入れてください。「311モリタトシヤ」
という具合です。整理のためです)








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明日に向けて(232)京都大文字山の送り火に想う(1)

2011年08月17日 09時30分00秒 | 明日に向けて8月1~31日
守田です。(20110817 09:30)

8月16日は五山の送り火の日でした。僕も自宅のそばから大文字山への点火を見てい
いました。今年、大震災・大津波。原発大災害をはじめ、あらゆることでお亡くな
りになられた方のご冥福をお祈りします。町に繰り出したたくさんの人々も、それ
ぞれの思いを込めて送り火を見ておられたと思います・・・。

大文字山は、僕にとっても非常に縁の深い山です。自宅のすぐそばにあり、例年、年
間で100回前後、火床(火を燃やすところ)まで登っています。嬉しいときも、悲し
いときも、楽しい時も、苦しい時も、僕はこの山に登り、京都市内を見下ろしてき
ました。大文字山は僕にとってかけがえのない聖地であり心のよりどころです。

ところが数年前より、この山にカシノナガキクイムシという昆虫が侵入し、コナラな
どナラ類の木々が激しく枯れていく現象が始まりました。昨年、僕は多くの友人に
呼びかけ、木々を守ろうと、必死になって山を駆け回りました。大文字保存会にも
赴き、会長の松原さんにも防除のための特別な活動の許可と協力を求めました。

しかし松原さんは快く応じてくださったものの、会員の中から反対の声が出たとかで、
有効な防除への許可がおりませんでした。その間に、もの凄い勢いで木々の枯死が
進み、8月に入るころには山が枯れた木々によって赤々と見える「赤枯れ」現象に染
まってしまいました。

その頃、松原会長に偶然、お会いすると、松原さんは「あのとき、お宅らの言うこと
に従っていれば良かったのですが」と力なく言われました。僕は「それはもういいで
す。それより今年の送り火は危険です。火床の周りに枯死木がたくさんあります。薪
に使われた木ですから火力が強い。安全対策を万全にとって下さい」と話しました。

大文字保存会は、この年、送り火の薪を半分に減らすことを決定しました。またいつ
もにもまして、防火対策を強化した取組が行われました。その結果、昨年の送り火も
無事に行われました。「例年より淋しい」という声が上がったそうでしたが、僕は
火が小さいことよりも、山が激しく痛んだことを嘆きつつ昨年の送り火を迎えました。


あれから一年。ナラ枯れはさらに勢いよく広がりました。火床にあがる階段を登った
すぐ左手の、僕が一番好きだったコナラも、今年、真っ赤になって枯れてしまいまし
た。そればかりではありません。山の中は、枯れたコナラを切り倒した残骸で溢れて
います。ムシ対策でビニールで覆った木の「棺桶」が無数に並んでいるのです。

このように大文字山が激しく損壊してしまったのは、けして大文字保存会のせいでは
ありません。最も責任が重いのは、こうした事態を放置し続けた京都市の姿勢です。
それは自然保護にあまりに無関心で冷淡な門川市長の姿勢を反映したものでもありま
す。京都市のあまりの無策が、ムシの猛烈な繁殖・拡大を許してしまったのでした。

大文字山の中に入ると、そうした証拠をいくらでもあげることができます。例えば
カシノナガキクイムシの防除には、被害を受けて枯死した木を切り倒し、ビニールで
くるんで翌年にムシがでないようにすることが必要なのですが、京都市は当初、この
作業を人の目につくところだけしか行わなず、膨大な被害木を残したのでした。

カシノナガキクイムシは、平均して一つのつがいから約70頭の子どもが生まれます。
非常に繁殖力が強い。だから被害木を処理しないと、何十倍ものムシが翌年に飛び
出す。1本の木から数万頭が発生する。実際に枯死した木々から一斉にムシたちが飛
び出した。猛烈なアタックで急速に枯死が広がった。・・人災の面も強かったのです。


ところがこうしたことが何ら報道されない。そればかりかこうした京都市の姿勢を
何ら批判せず、何の有効な防除対策もしてこなかった「学者」のもとにマスコミが群
がっていきました。それで「ムシの猛威」や昨夏の異常気象ばかりが強調された。
京都市やこれらの学者たちの怠慢が、枯死を招いたことが、不問に付されてしまった。

まるで悪夢を見ているようでした。山がどんどん赤くなっていく。ようやく人々が
異変に気がつき出したのに、マスコミは京都市や、何ら有効な防除活動に取り込んで
こなかった「学者」の側に行ってしまう。大文字山のリアリティを知っている側から
すれば、とんでもない虚偽、デタラメが連日、新聞の紙面を埋めていく。

・・・憔悴しました。へとへとになった。信仰の場でもある京都東山が、あまりに
ひどい扱いを受けていることに心が傷つきました。社会不信、人間不信に陥りかけ
た。そんなときたくさんの友人たちが暖かい声をかけてくれて僕は救われました。
僕は救われましたが、山は救われなかった。救うことができなかったのでした。


こうなったら京都市や、山々を荒らしている学者たち、真実に触れないマスコミと
の全面対決に踏み切るしかない。抜本的な批判を行い、山の中で起こっている事態を
暴露し、京都市がどれほど京都の山々を踏みにじっているかを世に問うしかない。
そう腹を決めたのが秋でした。そのために僕は一層森林の研究に打ち込みました。

京都OHANAプロジェクトの森拓哉さんとは、実はそんなときに知り合ったのでした。
森さんは自らが主宰するサクセスランニングで、僕のナラ枯れ防除活動を取り上げて
くれて、ナラ枯れ防除・チャリティウォークを企画して下さった。森さんの呼びかけ
に集まった方たちと一緒に防除を行い、参加費を防除にカンパしてもらいました。

またマスコミの中でも、それまでにも毎日新聞と岩波書店は、僕の主張に耳を傾けて
くださり、見解の発表の機会も与えて下さいました。その意味でしっかりとした報道
をしてくれるマスコミもいる。だから悲壮感に陥ってヒステリックにならず、慌てず、
焦らずに歩めば、耳を傾けてくれる方はもっといるはずだと僕は考えました。

さらには僕の周りには、何度も一緒に大文字山に入って、わがこととして活動して
くれる友人たちがたくさんいました。京都市のさまざまな悪政に対して、多方面から
声をあげてきた友人たちも周りにたくさんいた。僕はそうした友人たちに包まれてい
ることを自覚しつつ、前向きな森林保護活動を強めようとしていました。

・・・その時に、311事態が起こった。地震が起こり、津波が起こり、原発が爆発した。
これはメルトダウンまでいく。破局的大爆発の可能性がある。瞬時にそう思った。

僕は活動の全力を、原発事故問題、とくに放射線被曝からいかに私たち自身を守るの
かということに転じました。京都市や森林をめちゃめちゃにしている学者たちから、
日本政府と、その周りで何があっても「安全」を繰り返し、人々を被曝においやる学者
たちへの批判に矛先を転じました。そうして今日まで駆けてきました・・・。

大文字の送り火を見ながら、僕が思い起こしていたのはそうしたこれまでのことでし
た。自然に対して、森に対して、あまりに冷淡な行政、祖先たちから譲り受けてきた
祈りの場を冷淡に踏みにじってきたあり方、それを批判することができず、いつも
表層しかのことしか報道できず、己を問うことのない大半のマスコミ。

大文字山が悲惨な姿になってしまったことにも、原発事故で私たちの国が抜本的な危機
に陥ってしまったことにも、同じ背景がありました。そして今回、まさにこの構造の
もとに、陸前高田のマツと大文字送り火をめぐる「騒動」も持ち上がりました。この
前提を押さえないと事態が見えてこない。僕はまずこのことを訴えたいと思うのです。

続く












コメント (2)
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