守田です。(20110823 15:30)
気仙沼のアビス亭からの続編の発信です。(241)で書いたように、昨日僕は
京都OHANAプロジェクトの森さん、大槻さん、気仙沼(正確には一関市室根)
からかけつけてくれたアビスさんとともに陸前高田市を訪れ、仮設住宅のあ
る方から、陸前高田のマツへの想いをお聞きすることができました。これを
踏まえつつ、再度、大文字山送り火問題を論じたいと思います。
まず前提として、送り火に想う(1)で僕は大文字山が近年、激しいナラ枯れ
に襲われており、京都市がそれを放置してきたこと、マスコミも何らそれを
取り上げず、問題が表面化すると、防除に真面目に取り組んできたとはとて
も言えない「学者」にばかり群がり、何ら本質的なことが報道されなかった
ことを明らかにしました。
その中でみなさんにお伝えしたかったのは、門川市長も、京都市も、精霊を
送る場である大文字山への信心など、ほとんど持っていないという現実です。
とくに門川市長は、着物を常用して格好ばかり京都風を演出していますが、
この街の自然と精霊に対する尊崇の念がまったく見られません。それどころか
オリックスの進める水族館建設を進めるなど、環境破壊の道を歩んでいます。
また少なくともナラ枯れ問題に関して、マスコミはまったくきちんとした調
査をせず、問題の表層をなでるばかりで、自ら取材班を山の中に送り込んで
調査をするなどの取材を全くしてきていません。問題が表面化すると、学者
の見解を聞き書きして紙面を作ってきただけなのです。僕は今回の問題はこ
うした市長やマスコミの姿勢が大きく関与したと考えています。
その上で、さらに問題の背景を広げてみていきたいと思います。今回の陸前
高田のマツを燃やすという発案が、多数の京都市民の不安を引き起こした背
景にあるのは、311事故後の政府の安全キャンペーンと、少なくとも当初は
それをまったく批判せず、ただ政府の広報と化して情報を垂れ流し続けた
マスコミの姿勢です。
いまさら言うまでもないことかもしれませんが、まさにメルトダウンが起こっ
て原発からもの凄い線量の放射性物質が続々と飛び出しているときに、政府は
安全宣言を繰り返し、テレビも新聞も、政府の見解を繰り返す「学者」の見解
で溢れかえっていました。その後、政府自身が大きく見解をかえ、マスコミも
それに合わせて変わりましたが、どの社も一度も真摯な反省を試みていない。
このことが多くの人々の、政府とマスコミに対する不信を植えこみました。日
本のマスコミの方々が、自らの深刻な危機としてこれを捉えられないことが
残念ですが、これまで、新聞をよく読み、そこから情報を探そうとしてき
た多くの方が、新聞を離れ、独自にネットなどで情報収集するのようになっ
たのです。最もコアな読者層が今、マスコミから急速に離れつつある。
さらにこれに拍車をかけたのが、僕のいう政府による「放射能は怖くない
キャンペーン」の中で、放射線に関するさまざまな基準がなし崩し的に緩和
されだしたことです。例えば日本の法律では毎時0.6マイクロシーベルト以上
の地域は放射線管理区域に指定され、そこでは飲み食いや寝ること、子ども
を連れこむことが厳しく戒められてきました。
年間の「許容量」とされてきたのも1ミリシーベルトだったのに、にわかに
値が20ミリシーベルトに変えられ、子どもたちが毎時3.6マイクロシーベルト
の放射線を浴びても大丈夫だなどということが言われ出した。一気に危険値
とされる数値が大きく緩和されて、それまでの法律では、管理区域になった
ところの人が避難しようとしても、行われるべき補償もまったく得られない。
飲食物の基準もそうです。もともと1リットル当たり10ベクレルと低い値だった
飲み水の基準が大人で300ベクレルにまで緩和されてしまいました。食料に
関しても、肉などは1キログラムあたり500ベクレルまで良いことになってし
まいました。ちなみにドイツの放射線防護協会は、1キロあたり大人8ベクレル
まで、子どもは4ベクレルまでを飲食の基準とするように勧告しています。
多くの人がマスコミに載らないこうした情報をネットから集め、情報交換を
行い、自主的な学習会をはじめた。そうしたときにもち上がったのが、汚泥問題
でした。放射能を集めたチリやあくたは、雨で流されて汚泥となり、下水処理場
に集まっていく。それをこれまでのように焼却場で燃やしてしまったために関東
の多くの地域で、さらに放射能汚染が広がる結果を作りだした。
さらにそれに重ねて、原発事故被災地域のがれき問題が浮上し、政府が被災の
無かった自治体に引き取らせて、焼却させようとする案が進んできました。
しかし、このときもマスコミはなんら住民を助けれてくれない。原発がメルトダ
ウンし、インターネット上ではその可能性が強く疑われていたときに何も書かな
かったように、今も放射能汚染されたがれき処理について何も書かない。
こうしたことが背景にあって、陸前高田のマツが問題になり、一部の人々がすぐ
にネットで情報を収集をはじめ、その安全性に関する独自調査が開始されたの
でした。これらの人々が問題にしたのは、このマツを燃やすことが、大文字
保存会の発案ではなく、大分市の作家の発案であり、マツ自身を福井県のNPOが
仲介し、京都市がそれをこのNPOから買うとなっていることでした。
復興のための事業を行うためにマージンを得て、事業を拡大すること自身は批判
されるべきことではありませんが、大文字火送りに明るいとは言えない大分市の
作家の方や、福井県のNPOがこの事業を担っていることに不安が拡大し、勢いこれ
らの個人・団体への放射能汚染に関する質問が集中していきました。ところが
これらの方たちはそれに的確にこたえることができませんでした。
中でも使われるマキに関する放射線調査として、それらの物質の成分調査表が出
されてしまい、その中にストロンチウムの存在が記されていたことなどが問題を
拡大しました。僕はこのストロンチウムは、自然界にも存在するもので、放射性
物質ではないのではとも思うのですが、ともあれこうした発表でそもそも放射性
物質とは何かということをこれらの方が理解してないことが明らかになりました。
さらにこれらの方たちが、放射性セシウムを専門機関に依頼して計測したのですが、
検出限界が1キログラムあたり10ベクレルで、未検出のものに、実際に放射性物質
がないのか、あるいはあるいは10ベクレル以下なので測れていないものがあるのか
は分からなかった。それ自身は仕方のないことですが、この方たちが放射性物質が
ないといいはったので、さらに疑念を呼び起こしてしまいました。
さらにこのNPOの方に参加している市会議員さんが、感情的になって、そもそも
福井で作られた電気を京都の人たちは使っているのだから、放射能も引き受ける
べきだとホームページに書きこんでしまったため、問題がいっそう複雑になって
しまった。あたかも放射性物質がついているマキを受け入れるべきだという主張
がされてしまったからです。
この段階で、大文字保存会の中に強い動揺が起こったのが実際にあったことだった
ようです。保存会の中に、これではマツの安全性が確認できない。放射性物質を
撒いたら精霊の送り火として申し訳ないという声が広がり、その中で中止が決定
されました。つまり決定は、当事者(福井のNPO)の側から、使われるマツに放射
性物質がついてないことの責任をもった説明がなされない中で行われたものでした。
ところがこの事実を細かく取材していないマスコミが、「放射性物質はないけれど
火送りへの使用をやめる」と報道してしまい、翌日から大文字保存会が、他ならぬ
京都市民からの猛烈な抗議にさらされることになってしまいました。これらの抗議
は、放射性物質がないのに燃やさないというのはあんまりだというのもので、それ
自身、理由のあるものでしたが、明らかな誤報によって導かれたものでした。
ここでぜひ注意していただきたいのは、このときの報道のあり方です。放射性物質
があるかどうか分からない、ないしはその存在が疑われるので中止するというのと、
放射性物質がないのに中止するというのではまったくわけが違うし、後者の場合は
陸前高田の人々を深く傷つけ、同時に京都市民の怒りも巻き起こします。マスコミ、
ないし現場の記者さんはそれを意図してこの問題を報じたのではないでしょうか。
そうでないとしたら、このように書けば、その記事自身が陸前高田の人々と京都の
市民を傷づけることになることにあまりに無理解だった言えるのではないで
しょうか。問題が重大であるだけに非常に慎重な取材と、記事の書き方が求められ
ていた。社会的には双方を傷つけない記事の作り方が問われたと思います。その場
合、マスコミ自身が、徹底して放射性物質の問題を追いかけるべきだったと思います。
ところがあたら人々の対立をあおるかのような記事が書かれた。そしてあたかも
一部の京都市民が、自分たちだけのことを考えて、過度に放射性物質を恐れ、騒い
だことが悪く、それに屈した大文字保存会が悪いかのような「風評」が流れてしまっ
た。そうしたらもともと環境問題に関心が薄い門川市長が、点数稼ぎに乗り出し、
大文字保存会を上から否定して、「そんなもの燃やせ、燃やせ」と言いだした。
こうなるともともと町内会の一部でしかない保存会に抗う力はない。保存会は、も
ともとのマキ(陸前高田で送り火として燃やされました)に書かれた文面をすべて
写真に撮り、自ら護摩木に写し直して大文字で燃やすことで、陸前高田の方たちの
傷ついた方たちの心に報いようとした。一方で、上から保存会を抑えつけた市長は、
陸前高田から、前に用意されたものとは違うマキを取り寄せさせました。
ここでは門川市長の放射能汚染に対する全くの無理解が全面化してしまいました。
そもそも前にマキとして使われようとしていたのは、すでに表皮をむいて加工して
あるものでした。それに対して市長が新しく取り寄せたのは、野積みにされていた
ものだった。原発事故での汚染の現実から言えば、それを測れば放射性物質が出て
来ることは十分に予想された。ところが市長もまた報道をうのみにしていた。
そうしてわざわざ取り寄せて計測。案の定、放射性物質が出てしまいました。それで
放射性物質がないのにマキを使わないのはおかしいという前提が崩れてしまい、マキ
の使用は2度にわたって中止することになり、陸前高田の人々をより傷つけることに
なってしまいました。そうしたら今度はマスコミは市長たたいた。ある新聞社は、
放射性物質の量は取るに足りない量だという「学者」の意見を載せました。
今ここで、実際にその量が取るに足りるか足りないものであったのかは問いません。
問題の本質はそこにはないからです。そもそも「取るに足りる量」の放射性物質が
混入した飲食物が認可され、放射線管理区域の規定がなし崩し的にないものとされ、
1ミリという許容値が骨抜きにされているという社会的背景の中で、多くの市民が
自分たちを守ろうと必死になっている現実があるからです。
しかもこうした市民たちの努力に対して、京大原子炉実験所の方たちや、肥田さん、
矢ヶ崎さんなどをのぞいて、市民に寄り添いながら、被曝の危険性をといてくれた
「専門家」などいなかった。その意味でこの国の専門家の権威はまったくもって
失墜しているのです。それを促進したのはマスコミです。メルトダウンすら見抜けず、
報道できなかったを、謝ろうとすらしないからです。
そうなれば市民は少しの危険でも避けようと努力する以外にない。ある意味で保存会
もまた市民の一員として、こうした立場を取ろうとしたのであり、その最初の決定は
擁護されるべきものだと僕は思います。しかしその町内会を権力者であるマスコミが
たたいた。そうして同時に陸前高田の人々を傷つけたのです。だから僕は第一の責任
は事故をおこした国と東電に、第二の責任はマスコミにあると思います。
きちんとした取材などもやは期待しません。しかしせめてもマスコミの方たちには
もう少し人間的情を持ってほしい。自らの記事が人を傷つけることがあることを知っ
て欲しい。僕はそう思うのです。すぐに人をたたくのではなく、陸前高田の人も、
京都の人も傷つけない報道のあり方を記者さんたちは考えるべきだった。それがペン
を持ち、何十万、何百万という紙面を一日出してしまうもののモラルであるべきです。
僕にはそれが残念でなりません。第一回目に陸前高田の人々を傷つけたのはマスコミ
なのです。そして二回目に傷つけたのは門川市長です。大文字保存会は何度も謝罪を
行いました。その意味では市長も深々と頭を下げた。しかしマスコミは一度も頭を下
げていません。そもそも自分たちが当事者だと自覚がない。ペンがときには、剣をも
上回る暴力を持つことに無自覚すぎると僕は思います。
今回の問題で最大の犠牲者はやはり陸前高田の人々です。最大の犠牲とは何か、津波
の被害に襲われ、なおかつ放射性物質で地域が汚染されてしまったのに、その痛みを
シェアする動きがなんら表立っていないことです。本当に悲しいことに、津波で押し
倒されたマツの上に、放射性物質が降り、マキにもできない現実があるのです。その
痛みがシェアされなければいけないのにそれがない。何より僕はそれを悲しく思います。
「そんなのは微量だ。専門家の判断をあおぐべきだ」という学者さんたちに問いたい。
その専門家が出鱈目な判断ばかり出してきたではないですかと。事故当初に誰も危険
性を指摘しなかったではないですかと。政府のことを勇気を持って批判することなど
まったくできなかったではないですかと。その意味で、専門家内部での真摯な論争、
出鱈目を語った「専門家」の謝罪も今、僕には必要なことだと思えます。
同時に、東北地方の被曝の実態を明らかにし、その痛み、苦しみを全国でシェアして
いくことを進めていかなくてはなりません。それは放射性物質を分け合うことでは断じ
てない。汚染地域に汚染されてないところからさまざまな資源を送り続けることが
核心です。汚染を分け合って、日本中に広まってしまったら、もはや安全地帯がなく
なり誰も助けられなくなってしまいます。
最後にこの文章を書いている今、僕は一関市室根のアビス亭にいます。おそらく陸前
高田に降ったのと同じ放射能雲がこの室根にも到達しました。さきほど外で測ったら
雨どいの下で毎時4.15マイクロシーベルトが計測されました。空間線量は0.1から0.2の
間です。昨夜はその庭でアビスさんとふたり、焚火をしながら食事をしました。これも
燃やしてはいけないかもとアビスさん。(マキは軒下にあったものです)
アビスさんは、「この家は気に入ってたのですけどね」と過去形で語る。それが何と
も悲しく思えました。庭の栗の木がたくさんのイガをつけていましたが、「これも食べ
られないかも」と。「とにかく測定してもらいましょう。大丈夫だったらみんなで
食べましょう」と僕。本当に残念ながらこの楽しき家でも、あちこちでそれなりの放射
線量が検出されます。
この事態に対して何ができるのか。僕はさらに己を問い続けようと思います。大文字の
送り火ならぬ、アビスの庭の焚火に、そんなことを想った夜でした。
終わり
気仙沼のアビス亭からの続編の発信です。(241)で書いたように、昨日僕は
京都OHANAプロジェクトの森さん、大槻さん、気仙沼(正確には一関市室根)
からかけつけてくれたアビスさんとともに陸前高田市を訪れ、仮設住宅のあ
る方から、陸前高田のマツへの想いをお聞きすることができました。これを
踏まえつつ、再度、大文字山送り火問題を論じたいと思います。
まず前提として、送り火に想う(1)で僕は大文字山が近年、激しいナラ枯れ
に襲われており、京都市がそれを放置してきたこと、マスコミも何らそれを
取り上げず、問題が表面化すると、防除に真面目に取り組んできたとはとて
も言えない「学者」にばかり群がり、何ら本質的なことが報道されなかった
ことを明らかにしました。
その中でみなさんにお伝えしたかったのは、門川市長も、京都市も、精霊を
送る場である大文字山への信心など、ほとんど持っていないという現実です。
とくに門川市長は、着物を常用して格好ばかり京都風を演出していますが、
この街の自然と精霊に対する尊崇の念がまったく見られません。それどころか
オリックスの進める水族館建設を進めるなど、環境破壊の道を歩んでいます。
また少なくともナラ枯れ問題に関して、マスコミはまったくきちんとした調
査をせず、問題の表層をなでるばかりで、自ら取材班を山の中に送り込んで
調査をするなどの取材を全くしてきていません。問題が表面化すると、学者
の見解を聞き書きして紙面を作ってきただけなのです。僕は今回の問題はこ
うした市長やマスコミの姿勢が大きく関与したと考えています。
その上で、さらに問題の背景を広げてみていきたいと思います。今回の陸前
高田のマツを燃やすという発案が、多数の京都市民の不安を引き起こした背
景にあるのは、311事故後の政府の安全キャンペーンと、少なくとも当初は
それをまったく批判せず、ただ政府の広報と化して情報を垂れ流し続けた
マスコミの姿勢です。
いまさら言うまでもないことかもしれませんが、まさにメルトダウンが起こっ
て原発からもの凄い線量の放射性物質が続々と飛び出しているときに、政府は
安全宣言を繰り返し、テレビも新聞も、政府の見解を繰り返す「学者」の見解
で溢れかえっていました。その後、政府自身が大きく見解をかえ、マスコミも
それに合わせて変わりましたが、どの社も一度も真摯な反省を試みていない。
このことが多くの人々の、政府とマスコミに対する不信を植えこみました。日
本のマスコミの方々が、自らの深刻な危機としてこれを捉えられないことが
残念ですが、これまで、新聞をよく読み、そこから情報を探そうとしてき
た多くの方が、新聞を離れ、独自にネットなどで情報収集するのようになっ
たのです。最もコアな読者層が今、マスコミから急速に離れつつある。
さらにこれに拍車をかけたのが、僕のいう政府による「放射能は怖くない
キャンペーン」の中で、放射線に関するさまざまな基準がなし崩し的に緩和
されだしたことです。例えば日本の法律では毎時0.6マイクロシーベルト以上
の地域は放射線管理区域に指定され、そこでは飲み食いや寝ること、子ども
を連れこむことが厳しく戒められてきました。
年間の「許容量」とされてきたのも1ミリシーベルトだったのに、にわかに
値が20ミリシーベルトに変えられ、子どもたちが毎時3.6マイクロシーベルト
の放射線を浴びても大丈夫だなどということが言われ出した。一気に危険値
とされる数値が大きく緩和されて、それまでの法律では、管理区域になった
ところの人が避難しようとしても、行われるべき補償もまったく得られない。
飲食物の基準もそうです。もともと1リットル当たり10ベクレルと低い値だった
飲み水の基準が大人で300ベクレルにまで緩和されてしまいました。食料に
関しても、肉などは1キログラムあたり500ベクレルまで良いことになってし
まいました。ちなみにドイツの放射線防護協会は、1キロあたり大人8ベクレル
まで、子どもは4ベクレルまでを飲食の基準とするように勧告しています。
多くの人がマスコミに載らないこうした情報をネットから集め、情報交換を
行い、自主的な学習会をはじめた。そうしたときにもち上がったのが、汚泥問題
でした。放射能を集めたチリやあくたは、雨で流されて汚泥となり、下水処理場
に集まっていく。それをこれまでのように焼却場で燃やしてしまったために関東
の多くの地域で、さらに放射能汚染が広がる結果を作りだした。
さらにそれに重ねて、原発事故被災地域のがれき問題が浮上し、政府が被災の
無かった自治体に引き取らせて、焼却させようとする案が進んできました。
しかし、このときもマスコミはなんら住民を助けれてくれない。原発がメルトダ
ウンし、インターネット上ではその可能性が強く疑われていたときに何も書かな
かったように、今も放射能汚染されたがれき処理について何も書かない。
こうしたことが背景にあって、陸前高田のマツが問題になり、一部の人々がすぐ
にネットで情報を収集をはじめ、その安全性に関する独自調査が開始されたの
でした。これらの人々が問題にしたのは、このマツを燃やすことが、大文字
保存会の発案ではなく、大分市の作家の発案であり、マツ自身を福井県のNPOが
仲介し、京都市がそれをこのNPOから買うとなっていることでした。
復興のための事業を行うためにマージンを得て、事業を拡大すること自身は批判
されるべきことではありませんが、大文字火送りに明るいとは言えない大分市の
作家の方や、福井県のNPOがこの事業を担っていることに不安が拡大し、勢いこれ
らの個人・団体への放射能汚染に関する質問が集中していきました。ところが
これらの方たちはそれに的確にこたえることができませんでした。
中でも使われるマキに関する放射線調査として、それらの物質の成分調査表が出
されてしまい、その中にストロンチウムの存在が記されていたことなどが問題を
拡大しました。僕はこのストロンチウムは、自然界にも存在するもので、放射性
物質ではないのではとも思うのですが、ともあれこうした発表でそもそも放射性
物質とは何かということをこれらの方が理解してないことが明らかになりました。
さらにこれらの方たちが、放射性セシウムを専門機関に依頼して計測したのですが、
検出限界が1キログラムあたり10ベクレルで、未検出のものに、実際に放射性物質
がないのか、あるいはあるいは10ベクレル以下なので測れていないものがあるのか
は分からなかった。それ自身は仕方のないことですが、この方たちが放射性物質が
ないといいはったので、さらに疑念を呼び起こしてしまいました。
さらにこのNPOの方に参加している市会議員さんが、感情的になって、そもそも
福井で作られた電気を京都の人たちは使っているのだから、放射能も引き受ける
べきだとホームページに書きこんでしまったため、問題がいっそう複雑になって
しまった。あたかも放射性物質がついているマキを受け入れるべきだという主張
がされてしまったからです。
この段階で、大文字保存会の中に強い動揺が起こったのが実際にあったことだった
ようです。保存会の中に、これではマツの安全性が確認できない。放射性物質を
撒いたら精霊の送り火として申し訳ないという声が広がり、その中で中止が決定
されました。つまり決定は、当事者(福井のNPO)の側から、使われるマツに放射
性物質がついてないことの責任をもった説明がなされない中で行われたものでした。
ところがこの事実を細かく取材していないマスコミが、「放射性物質はないけれど
火送りへの使用をやめる」と報道してしまい、翌日から大文字保存会が、他ならぬ
京都市民からの猛烈な抗議にさらされることになってしまいました。これらの抗議
は、放射性物質がないのに燃やさないというのはあんまりだというのもので、それ
自身、理由のあるものでしたが、明らかな誤報によって導かれたものでした。
ここでぜひ注意していただきたいのは、このときの報道のあり方です。放射性物質
があるかどうか分からない、ないしはその存在が疑われるので中止するというのと、
放射性物質がないのに中止するというのではまったくわけが違うし、後者の場合は
陸前高田の人々を深く傷つけ、同時に京都市民の怒りも巻き起こします。マスコミ、
ないし現場の記者さんはそれを意図してこの問題を報じたのではないでしょうか。
そうでないとしたら、このように書けば、その記事自身が陸前高田の人々と京都の
市民を傷づけることになることにあまりに無理解だった言えるのではないで
しょうか。問題が重大であるだけに非常に慎重な取材と、記事の書き方が求められ
ていた。社会的には双方を傷つけない記事の作り方が問われたと思います。その場
合、マスコミ自身が、徹底して放射性物質の問題を追いかけるべきだったと思います。
ところがあたら人々の対立をあおるかのような記事が書かれた。そしてあたかも
一部の京都市民が、自分たちだけのことを考えて、過度に放射性物質を恐れ、騒い
だことが悪く、それに屈した大文字保存会が悪いかのような「風評」が流れてしまっ
た。そうしたらもともと環境問題に関心が薄い門川市長が、点数稼ぎに乗り出し、
大文字保存会を上から否定して、「そんなもの燃やせ、燃やせ」と言いだした。
こうなるともともと町内会の一部でしかない保存会に抗う力はない。保存会は、も
ともとのマキ(陸前高田で送り火として燃やされました)に書かれた文面をすべて
写真に撮り、自ら護摩木に写し直して大文字で燃やすことで、陸前高田の方たちの
傷ついた方たちの心に報いようとした。一方で、上から保存会を抑えつけた市長は、
陸前高田から、前に用意されたものとは違うマキを取り寄せさせました。
ここでは門川市長の放射能汚染に対する全くの無理解が全面化してしまいました。
そもそも前にマキとして使われようとしていたのは、すでに表皮をむいて加工して
あるものでした。それに対して市長が新しく取り寄せたのは、野積みにされていた
ものだった。原発事故での汚染の現実から言えば、それを測れば放射性物質が出て
来ることは十分に予想された。ところが市長もまた報道をうのみにしていた。
そうしてわざわざ取り寄せて計測。案の定、放射性物質が出てしまいました。それで
放射性物質がないのにマキを使わないのはおかしいという前提が崩れてしまい、マキ
の使用は2度にわたって中止することになり、陸前高田の人々をより傷つけることに
なってしまいました。そうしたら今度はマスコミは市長たたいた。ある新聞社は、
放射性物質の量は取るに足りない量だという「学者」の意見を載せました。
今ここで、実際にその量が取るに足りるか足りないものであったのかは問いません。
問題の本質はそこにはないからです。そもそも「取るに足りる量」の放射性物質が
混入した飲食物が認可され、放射線管理区域の規定がなし崩し的にないものとされ、
1ミリという許容値が骨抜きにされているという社会的背景の中で、多くの市民が
自分たちを守ろうと必死になっている現実があるからです。
しかもこうした市民たちの努力に対して、京大原子炉実験所の方たちや、肥田さん、
矢ヶ崎さんなどをのぞいて、市民に寄り添いながら、被曝の危険性をといてくれた
「専門家」などいなかった。その意味でこの国の専門家の権威はまったくもって
失墜しているのです。それを促進したのはマスコミです。メルトダウンすら見抜けず、
報道できなかったを、謝ろうとすらしないからです。
そうなれば市民は少しの危険でも避けようと努力する以外にない。ある意味で保存会
もまた市民の一員として、こうした立場を取ろうとしたのであり、その最初の決定は
擁護されるべきものだと僕は思います。しかしその町内会を権力者であるマスコミが
たたいた。そうして同時に陸前高田の人々を傷つけたのです。だから僕は第一の責任
は事故をおこした国と東電に、第二の責任はマスコミにあると思います。
きちんとした取材などもやは期待しません。しかしせめてもマスコミの方たちには
もう少し人間的情を持ってほしい。自らの記事が人を傷つけることがあることを知っ
て欲しい。僕はそう思うのです。すぐに人をたたくのではなく、陸前高田の人も、
京都の人も傷つけない報道のあり方を記者さんたちは考えるべきだった。それがペン
を持ち、何十万、何百万という紙面を一日出してしまうもののモラルであるべきです。
僕にはそれが残念でなりません。第一回目に陸前高田の人々を傷つけたのはマスコミ
なのです。そして二回目に傷つけたのは門川市長です。大文字保存会は何度も謝罪を
行いました。その意味では市長も深々と頭を下げた。しかしマスコミは一度も頭を下
げていません。そもそも自分たちが当事者だと自覚がない。ペンがときには、剣をも
上回る暴力を持つことに無自覚すぎると僕は思います。
今回の問題で最大の犠牲者はやはり陸前高田の人々です。最大の犠牲とは何か、津波
の被害に襲われ、なおかつ放射性物質で地域が汚染されてしまったのに、その痛みを
シェアする動きがなんら表立っていないことです。本当に悲しいことに、津波で押し
倒されたマツの上に、放射性物質が降り、マキにもできない現実があるのです。その
痛みがシェアされなければいけないのにそれがない。何より僕はそれを悲しく思います。
「そんなのは微量だ。専門家の判断をあおぐべきだ」という学者さんたちに問いたい。
その専門家が出鱈目な判断ばかり出してきたではないですかと。事故当初に誰も危険
性を指摘しなかったではないですかと。政府のことを勇気を持って批判することなど
まったくできなかったではないですかと。その意味で、専門家内部での真摯な論争、
出鱈目を語った「専門家」の謝罪も今、僕には必要なことだと思えます。
同時に、東北地方の被曝の実態を明らかにし、その痛み、苦しみを全国でシェアして
いくことを進めていかなくてはなりません。それは放射性物質を分け合うことでは断じ
てない。汚染地域に汚染されてないところからさまざまな資源を送り続けることが
核心です。汚染を分け合って、日本中に広まってしまったら、もはや安全地帯がなく
なり誰も助けられなくなってしまいます。
最後にこの文章を書いている今、僕は一関市室根のアビス亭にいます。おそらく陸前
高田に降ったのと同じ放射能雲がこの室根にも到達しました。さきほど外で測ったら
雨どいの下で毎時4.15マイクロシーベルトが計測されました。空間線量は0.1から0.2の
間です。昨夜はその庭でアビスさんとふたり、焚火をしながら食事をしました。これも
燃やしてはいけないかもとアビスさん。(マキは軒下にあったものです)
アビスさんは、「この家は気に入ってたのですけどね」と過去形で語る。それが何と
も悲しく思えました。庭の栗の木がたくさんのイガをつけていましたが、「これも食べ
られないかも」と。「とにかく測定してもらいましょう。大丈夫だったらみんなで
食べましょう」と僕。本当に残念ながらこの楽しき家でも、あちこちでそれなりの放射
線量が検出されます。
この事態に対して何ができるのか。僕はさらに己を問い続けようと思います。大文字の
送り火ならぬ、アビスの庭の焚火に、そんなことを想った夜でした。
終わり