守田です。(20110821 23:30)
20日夜のことですが、すべての行動を終えた私たち3人は、夜の町に食事に出ました。
夜の町といっても、釜石市は信号すらまだ灯っていないところがあり、店がほとん
ど営業していない。何せ多くの建物が1階も2階も激しいダメージを受けたままなのです。
それでも、できればおいしく楽しい店でご飯を食べたいと思うのが人情。それで
町を歩いていると、森さんが遠くに煌々と光っている赤ちょうちんを発見しました。
これがウルトラ大ヒットだった!
料理がおいしいのはもちろんながら、何よりも津波をぎりぎりのところで逃れ、10
日前に店を再開したお母さん、お父さんとの出会いが素晴らしかった。むちゃくちゃ
に濃い出会いでした。
これについては森さんが詳しい紹介を発信してくださったので、今宵はそれを
コピーさせていただいて、報告に変えます。
***************************
OHANA通信 Vol10 8月20日(土) 釜石市よさくというお店
京都OHANAプロジェクトの森拓哉です。
先ほどまで、釜石市大町1-9-6の「よさく」というお店で
食事?でした。
この「よさく」 津波で全てをかっさわれたお店です。
周りは建物はあれど、人気はなし。
信号も点灯していません。
天井の電球、座敷、トイレは、
東から西に来た
波が全てを奪っていきました。
唯一残ったのがカウンターのみです。
3月11日のことです。
お店の斉藤さんご夫妻、もう諦めかけたそうです。
色々なストーリーを経て、8月11日に再建、復興を遂げられました。
僕らが来る10日前です。復興までの間、栃木のボランティアの方が、せっせ
と店の掃除をされていたそうで、そのおかげで再建できたとのこと。
広い市街地、唯一の赤提灯でした。
明日は栃木のボランティアにお礼に行かれるそうで、
今日たまたま「よさく」に入れたのは幸運でした。
京都から自転車を持ってきたと言ったら、お店のだんなもお上も喜んで
一緒に飲んでくれました(あ!? 食事でないってばれた?)。
明日、自転車を二台届けることになっています。
今は仮設住宅からお店まで徒歩15分、
それが5分になります。
10分の短縮に京都の自転車が貢献です!
津波の話もたくさん聞かせてくれました。助かったストーリー、
助からなかったストーリー、助かった自分がどうしてきたか、、、
それはそれは、壮絶な話です。
明日では聞けなかった話です。今日しか聞けなかった話です。
今日この日に釜石市に居れたことを、感謝します。
皆様、送り出していただき、ありがとうございます。
今日は「よさく」に、「森、守田、大槻のボトル(モリ モリタ オオツキ
ノ ボトル)」を置いておきました。誰でも飲みやすいように「イイチコ」
です。
正確にちゃんと言えた方には、このボトル出してくださいねと言っています。
「モリ モリタ オオツキ ノ ボトル」です。是非、「よさく」に行って、
一杯どうぞです。
また必ず来ますと伝えて、店を後にしました。
皆様ありがとうございます。
今日も素敵な一日でした。
明日もよい日でありますように。
京都OHANAプロジェクト
森拓哉
*****
OHANA通信 Vol11 8月21日(日) 昨日の追加
おはようございます。OHANAプロジェクト森拓哉です。
今日は大槌町での活動二日目、自転車60台を170戸の仮設に
お配りしてきます。さきほどほんの少しの地震があって、目が覚めました。
たぶん、こんなの地震に入らないよ程度のものです(震度1~2?)
起きだして、昨晩のOHANA通信を読んだら、
あまりに言葉足らずメールなので、もう少し書いておきたくなりました。
言葉足らずで、いつも愛する奥様には怒られています。とほほ。
釜石市のことです。
釜石は、釜石駅の周辺は、一見すると何事もなかったかのように見えます。
ショッピングセンター、電気屋さん、ホームセンター、普通の暮らしとなんら
変わりありません。
それが、市街地へ入る、交差点を曲がり、電車の高架をくぐったところから、
様子が一変します。一階部分がぐしゃぐしゃに潰れた家、建物が立ち並び、
信号も消えています。
「あー、津波が来たんだ」と再認識させられます。
そんな町の少し路地に入った多田旅館に僕たちは宿泊していて、
こちらも一階部分は津波が押し寄せて、作り直されています。
昨日、ご紹介した「よさく」もそうですが釜石は地盤がしっかりしているため、
地震による倒壊はほとんどありません。
目に付く被害は、ほぼ全て津波で流されたことによるものです。
昨晩、食事のために、町のメインストリートに出たところ、やってそうなお店は
ほとんどありません。旅館近くの養老の瀧、ローソン、ビルの3階で営業している
スナック、ホテルの二階で営業している食堂といったところでしょうか?
(昨晩の「人気なし」というのは、ちょっと言いすぎで、「人気がまばら」という
ところでしょうか)
警察が巡回している姿も目に入ります。
信号がついていないので、気をつけて道を渡ります。
もうちょっと探してみようと、路地に入ったところ、煌々と光る赤提灯が目に
入ってきました。
「よさく」です。
この赤提灯、震災前は40Wで営業されていたんだそうです。
それを街に灯りがないから、少しでも明るくと、100Wに変えています。
僕たちはその明かりに招かれました。
お店に入って、注文をして、ビールを飲んだ後、チーターさんも
合流してくれました。
大槌町の「ゆるきゃら」 おおちゃんの人形を作り
仮設にお住まいの方々が収入源とするべく、
チーターさんも参加されているNPO「ぐるっとおおつち」が
活動されている事を伺いました。
http://mainichi.jp/select/today/news/m20110821k0000m040049000c.html
かわいいキャラ、住民の皆さんの奮闘している姿が浮かんできます。
すると、お店の旦那とお上も、「なになに?」と合流してくれました。
地震のあった時間、旦那もお上も自宅にいたんだそうです。
地震直後、出された津波警報は「高さ3m」というもの。
「どうせ大丈夫」と、なめた空気が漂っていたそうです。
旦那は家の二階から、海を眺めたところ、潮がさーっと引いていく海を見ました。
確認するため堤防まで出たところ、見たこともないほど潮が引いていたそうです。
旦那は「これは相当でっかいのが来る!」と予想して、
隣り近所にも言って回った。でも、変わらずのんびりされて、
そんな方が随分と亡くなられたそうです。
お上は、背中すぐ後ろに、津波が迫りながら走って逃げたそうです。
津波と追いかけっこ。
高台にすでに避難している人が、
「もっと走れ、もっと上だ!」と言うから、「どこまで行けばいいんだ」
と思いながら、後ろも振り向かず、走り続けてまさに九死に一生。
津波で店の一階部分は全部さらわれて、当初はもうここで店は無理だ!
と諦めかけたそうです。仮設店舗が釜石駅の近くで当選して、そちらも検討した
そうですが、契約期間が二年、中の設備は自分で用意しないといけないため、
「そんな条件で店をやっても、、、、」とすごしている間、お店の一階部分を
栃木のボランティアグループがずっと掃除していてくれたそうです。
そして、建物の使用許可が出たので、「よし、ここでやろう!」と決断されたそう
です。
営業再開したのは、8月10日のこと。
「私たちは復興した。元気にやってる!」と仮設住宅に住みながら、語るお上の
姿が印象的でした。自転車をどうぞというと、喜んでくれたこと、喜んでくれた
こと。
僕が聞いて記憶しているほんの一部のストーリーです。
とても、書ききれません。
昨日、僕たちは、津波で家もお店も流されたけど、
美しく立ち上がる人の姿を目撃しました。
もちろん、これからもさまざまな苦難があるのでしょうが、
希望というものがどういうものなのか、
言葉ではなく、肌で感じることができました。
希望という言葉の尊さを感じることができました。
ささやかな応援の気持ちで、焼酎ボトルを入れています。
いつの日になるかは、分かりませんが、また行きたいと思います。
皆さんも行く機会があれば、どうぞ使ってくださいね。
さて、今日は朝から雨が降っています。
どんな活動になるでしょうか?
とにもかくにも、できることを一歩一歩、集中してやっていきます。
気持ちは一緒に、見守ってやってください。
京都OHANAプロジェクト
森拓哉
今後のスケジュール:
8月21日 大槌町で自転車の配布
8月22日 陸前高田市、気仙沼へ。自転車何台かずつお届けの予定。
ホームページ : http://ohana-kyoto.net/blog/
★中国在住で活躍中の松本ひでちゃんが、一気にパワーアップしてくれました。
ご覧下さい。
みんなの千羽鶴プロジェクト : 一口1,000円のプロジェクト支援。
http://www.success-running.com/news/2011/07/senba.pdf
クレジットカード決済に対応しました♪ ⇒ http://p.tl/N0-j
フェイスブック : http://www.facebook.com/kyotoohana
★タイムリーに情報をお届けしていきます。ユーザの方は、「いいね!」
お願いします。
*************
活動資金にご協力できる方は下記にお願いします。
京都銀行 上桂支店(カミカツラ支店)
普通 4041989 京都OHANA プロジェクト大槻祥子
(この「明日に向けて」を読んで振り込んで下さる方は、振り込む際に名前の前に、
311という番号を入れてください。「311モリタトシヤ」という具合です。整理のためです)
20日夜のことですが、すべての行動を終えた私たち3人は、夜の町に食事に出ました。
夜の町といっても、釜石市は信号すらまだ灯っていないところがあり、店がほとん
ど営業していない。何せ多くの建物が1階も2階も激しいダメージを受けたままなのです。
それでも、できればおいしく楽しい店でご飯を食べたいと思うのが人情。それで
町を歩いていると、森さんが遠くに煌々と光っている赤ちょうちんを発見しました。
これがウルトラ大ヒットだった!
料理がおいしいのはもちろんながら、何よりも津波をぎりぎりのところで逃れ、10
日前に店を再開したお母さん、お父さんとの出会いが素晴らしかった。むちゃくちゃ
に濃い出会いでした。
これについては森さんが詳しい紹介を発信してくださったので、今宵はそれを
コピーさせていただいて、報告に変えます。
***************************
OHANA通信 Vol10 8月20日(土) 釜石市よさくというお店
京都OHANAプロジェクトの森拓哉です。
先ほどまで、釜石市大町1-9-6の「よさく」というお店で
食事?でした。
この「よさく」 津波で全てをかっさわれたお店です。
周りは建物はあれど、人気はなし。
信号も点灯していません。
天井の電球、座敷、トイレは、
東から西に来た
波が全てを奪っていきました。
唯一残ったのがカウンターのみです。
3月11日のことです。
お店の斉藤さんご夫妻、もう諦めかけたそうです。
色々なストーリーを経て、8月11日に再建、復興を遂げられました。
僕らが来る10日前です。復興までの間、栃木のボランティアの方が、せっせ
と店の掃除をされていたそうで、そのおかげで再建できたとのこと。
広い市街地、唯一の赤提灯でした。
明日は栃木のボランティアにお礼に行かれるそうで、
今日たまたま「よさく」に入れたのは幸運でした。
京都から自転車を持ってきたと言ったら、お店のだんなもお上も喜んで
一緒に飲んでくれました(あ!? 食事でないってばれた?)。
明日、自転車を二台届けることになっています。
今は仮設住宅からお店まで徒歩15分、
それが5分になります。
10分の短縮に京都の自転車が貢献です!
津波の話もたくさん聞かせてくれました。助かったストーリー、
助からなかったストーリー、助かった自分がどうしてきたか、、、
それはそれは、壮絶な話です。
明日では聞けなかった話です。今日しか聞けなかった話です。
今日この日に釜石市に居れたことを、感謝します。
皆様、送り出していただき、ありがとうございます。
今日は「よさく」に、「森、守田、大槻のボトル(モリ モリタ オオツキ
ノ ボトル)」を置いておきました。誰でも飲みやすいように「イイチコ」
です。
正確にちゃんと言えた方には、このボトル出してくださいねと言っています。
「モリ モリタ オオツキ ノ ボトル」です。是非、「よさく」に行って、
一杯どうぞです。
また必ず来ますと伝えて、店を後にしました。
皆様ありがとうございます。
今日も素敵な一日でした。
明日もよい日でありますように。
京都OHANAプロジェクト
森拓哉
*****
OHANA通信 Vol11 8月21日(日) 昨日の追加
おはようございます。OHANAプロジェクト森拓哉です。
今日は大槌町での活動二日目、自転車60台を170戸の仮設に
お配りしてきます。さきほどほんの少しの地震があって、目が覚めました。
たぶん、こんなの地震に入らないよ程度のものです(震度1~2?)
起きだして、昨晩のOHANA通信を読んだら、
あまりに言葉足らずメールなので、もう少し書いておきたくなりました。
言葉足らずで、いつも愛する奥様には怒られています。とほほ。
釜石市のことです。
釜石は、釜石駅の周辺は、一見すると何事もなかったかのように見えます。
ショッピングセンター、電気屋さん、ホームセンター、普通の暮らしとなんら
変わりありません。
それが、市街地へ入る、交差点を曲がり、電車の高架をくぐったところから、
様子が一変します。一階部分がぐしゃぐしゃに潰れた家、建物が立ち並び、
信号も消えています。
「あー、津波が来たんだ」と再認識させられます。
そんな町の少し路地に入った多田旅館に僕たちは宿泊していて、
こちらも一階部分は津波が押し寄せて、作り直されています。
昨日、ご紹介した「よさく」もそうですが釜石は地盤がしっかりしているため、
地震による倒壊はほとんどありません。
目に付く被害は、ほぼ全て津波で流されたことによるものです。
昨晩、食事のために、町のメインストリートに出たところ、やってそうなお店は
ほとんどありません。旅館近くの養老の瀧、ローソン、ビルの3階で営業している
スナック、ホテルの二階で営業している食堂といったところでしょうか?
(昨晩の「人気なし」というのは、ちょっと言いすぎで、「人気がまばら」という
ところでしょうか)
警察が巡回している姿も目に入ります。
信号がついていないので、気をつけて道を渡ります。
もうちょっと探してみようと、路地に入ったところ、煌々と光る赤提灯が目に
入ってきました。
「よさく」です。
この赤提灯、震災前は40Wで営業されていたんだそうです。
それを街に灯りがないから、少しでも明るくと、100Wに変えています。
僕たちはその明かりに招かれました。
お店に入って、注文をして、ビールを飲んだ後、チーターさんも
合流してくれました。
大槌町の「ゆるきゃら」 おおちゃんの人形を作り
仮設にお住まいの方々が収入源とするべく、
チーターさんも参加されているNPO「ぐるっとおおつち」が
活動されている事を伺いました。
http://mainichi.jp/select/today/news/m20110821k0000m040049000c.html
かわいいキャラ、住民の皆さんの奮闘している姿が浮かんできます。
すると、お店の旦那とお上も、「なになに?」と合流してくれました。
地震のあった時間、旦那もお上も自宅にいたんだそうです。
地震直後、出された津波警報は「高さ3m」というもの。
「どうせ大丈夫」と、なめた空気が漂っていたそうです。
旦那は家の二階から、海を眺めたところ、潮がさーっと引いていく海を見ました。
確認するため堤防まで出たところ、見たこともないほど潮が引いていたそうです。
旦那は「これは相当でっかいのが来る!」と予想して、
隣り近所にも言って回った。でも、変わらずのんびりされて、
そんな方が随分と亡くなられたそうです。
お上は、背中すぐ後ろに、津波が迫りながら走って逃げたそうです。
津波と追いかけっこ。
高台にすでに避難している人が、
「もっと走れ、もっと上だ!」と言うから、「どこまで行けばいいんだ」
と思いながら、後ろも振り向かず、走り続けてまさに九死に一生。
津波で店の一階部分は全部さらわれて、当初はもうここで店は無理だ!
と諦めかけたそうです。仮設店舗が釜石駅の近くで当選して、そちらも検討した
そうですが、契約期間が二年、中の設備は自分で用意しないといけないため、
「そんな条件で店をやっても、、、、」とすごしている間、お店の一階部分を
栃木のボランティアグループがずっと掃除していてくれたそうです。
そして、建物の使用許可が出たので、「よし、ここでやろう!」と決断されたそう
です。
営業再開したのは、8月10日のこと。
「私たちは復興した。元気にやってる!」と仮設住宅に住みながら、語るお上の
姿が印象的でした。自転車をどうぞというと、喜んでくれたこと、喜んでくれた
こと。
僕が聞いて記憶しているほんの一部のストーリーです。
とても、書ききれません。
昨日、僕たちは、津波で家もお店も流されたけど、
美しく立ち上がる人の姿を目撃しました。
もちろん、これからもさまざまな苦難があるのでしょうが、
希望というものがどういうものなのか、
言葉ではなく、肌で感じることができました。
希望という言葉の尊さを感じることができました。
ささやかな応援の気持ちで、焼酎ボトルを入れています。
いつの日になるかは、分かりませんが、また行きたいと思います。
皆さんも行く機会があれば、どうぞ使ってくださいね。
さて、今日は朝から雨が降っています。
どんな活動になるでしょうか?
とにもかくにも、できることを一歩一歩、集中してやっていきます。
気持ちは一緒に、見守ってやってください。
京都OHANAプロジェクト
森拓哉
今後のスケジュール:
8月21日 大槌町で自転車の配布
8月22日 陸前高田市、気仙沼へ。自転車何台かずつお届けの予定。
ホームページ : http://ohana-kyoto.net/blog/
★中国在住で活躍中の松本ひでちゃんが、一気にパワーアップしてくれました。
ご覧下さい。
みんなの千羽鶴プロジェクト : 一口1,000円のプロジェクト支援。
http://www.success-running.com/news/2011/07/senba.pdf
クレジットカード決済に対応しました♪ ⇒ http://p.tl/N0-j
フェイスブック : http://www.facebook.com/kyotoohana
★タイムリーに情報をお届けしていきます。ユーザの方は、「いいね!」
お願いします。
*************
活動資金にご協力できる方は下記にお願いします。
京都銀行 上桂支店(カミカツラ支店)
普通 4041989 京都OHANA プロジェクト大槻祥子
(この「明日に向けて」を読んで振り込んで下さる方は、振り込む際に名前の前に、
311という番号を入れてください。「311モリタトシヤ」という具合です。整理のためです)