7日(木)。ここ数日、すっかり陽が伸びて暖かい日が続いています。三寒四温ですね。少しずつ春が近づいている気配を感じます
昨日の夕食時、家族で今話題の”アベノミクス”の話になりました。「インフレ・ターゲットでイケイケどんどんでやっているけど、日本の借金は増えるばかりじゃない アベノ・ミステイクだ」「お金をどんどん公共事業に注ぎ込むのはいいけど、どこにそんなお金があるの」「結局は消費税頼みじゃないか」と議論百出の中、最後に息子が一言「安倍のみクスッと笑ったりして」
閑話休題
昨日の朝日朝刊・文化欄に「謙虚だった恩師の激怒 共鳴の快感一生モノ」という吉田純子記者による小澤征爾のインタビュー記事が載りました 桐朋学園で教えを受けた斎藤秀雄氏について語ったものです。要約すると、
「高校の時1回だけ先生にめっちゃ怒られたことがあるんです 山本直純と連弾でレッスンの伴奏をつけたけど忙しくて譜読みが間に合わず、弾けなかった。直純は、弾けないところは歌っちゃったりして。先生は譜面をパーッと投げてメガネを床にたたきつけ、壊れたメガネをさらに踏みつけた。恐ろしくなって直純と家を飛び出した その後、直純がブラームスの第2交響曲を暗譜で指揮したとき、先生は直純があれこれと分析を書きこんだ楽譜を見て、終わった時に『直純、ありがとう。勉強になったよ』と言ったことがあった。僕は先生の顔を見て『えーっ、先生がそんなこと言うの』って。すごいんですよ ぼくらにも音楽にも本気だって、これで伝わるでしょ。先生は確かによく怒ったけど、その怒りには必ず理由があった プライドや単なる感情からぼくらを傷つけることはなかった。音楽という大きなものの前には先生も生徒もないって、どこか謙虚に思っていらしたかもしれない。僕のアカデミーでは弦楽四重奏を教えるんです ハーモニーやリズム、メロディーを他人とつくりだす快感が体にしみこんでいる人は、ただソロだけ弾いてきた人より、間違いなく音楽家としての幅が大きくなる もし、音楽家になれず、違う仕事に就いても、その子のその後の人生に、音楽が、何かすてきなものを残していてほしい 僕はそう願う。大切なのは、相手が子供でも絶対レベルを下げない、ということ。こちらの本気を見せ、本物を体験させなきゃいけない。サイトウ・キネンの中に、教育の礎をどれだけ築くことができるか。これが僕の今後の課題です」
このインタビュー記事を読んで思ったのは、斎藤秀雄という人は本物の教育者だったということです 今の世界で、生徒に『ありがとう。勉強になったよ』と言える教育者はどれほどいるでしょうか その言葉は、本物の実力がなければ言えない言葉です。「実るほど頭を垂れる稲穂かな」ですね。蛇足ですが、斎藤秀雄の父親は英語学者として有名な斎藤秀三郎氏で、彼の編纂した「熟語本位英和中辞典」は高校生の時に利用していました。”赤尾の豆単”とともに受験生のバイブルでした 親子そろって偉大な教育者だったのですね
それにしても、天下の斉藤秀雄に「ありがとう、勉強になったよ」と言わせた山本直純という人もすごい人だったのだな、と思いました テレビ番組「題名のない音楽会」の司会者として様々な企画を仕掛けてクラシック音楽の底辺を広げることに貢献しました。日本に英国・ホフナングの”冗談音楽”を紹介したのも彼だったと思います。森永製菓のコマーシャルでは「大きいことはいいことだ」のキャッチ・フレーズで高度成長期の日本の話題をさらいました 今生きていればどんな活躍をしていたか、大いに惜しまれる人物です