22日(金)。昨夕、HCビル地下のKで、テナントFのIさんの送別会を開きました。当方はX部長と私です。ビール で乾杯して、われわれは日本酒を、Iさんは赤ワイン を飲みましたが、ボトルで取ったので途中からわれわれも参戦し、結局空けました Iさんは外務省出身者で海外生活も長かったので、その辺の思い出話を聞きました これからの余生はゴルフを楽しみたいと言われていました 長い間お疲れ様でした 8時ちょうどに現地で解散しました。あとは何もありません
閑話休題
20日に聴いた「東京・春・音楽祭」の2つのコンサートのうち、午後6時から上野公園内にある旧東京音楽学校奏楽堂で開かれた「ピアノ・トリオで聴くドイツ・ロマン派」のコンサートの模様を書きます
プログラムは①シューマン「ピアノ三重奏曲第2番ヘ長調」、②メンデルスゾーン「ピアノ三重奏曲第2番ハ短調」、③ブラームス「ピアノ三重奏曲第2番ハ長調」です
自席は「か列7番」です。 説明が必要ですね。旧奏楽堂は日本で初めてできた音楽学校のコンサートホールで、一般のコンサートホールでは座席の順を「A列〇番」あるいは「3列〇番」としていますが、このホールでは「あいうえお」順になっているのです また、番号も一般のホールは左から右へ1番、2番となっていますが、この奏楽堂は右から左へ1番、2番となっています。したがって、「か列7番」は前から6列目の右から7番目の席になります
また、この建物は国の「重要文化財」に指定されているため、ホールはもちろんのこと建物内で飲食が禁止されています。したがってホワイエもなければ自動販売機もありません。トイレは「便所」と表示されていて、ドアに「男」、「女」と書かれています。分かり易いですが、何となく「昭和」を通り越して「明治」を感じてしまうのは私だけでしょうか
演奏はヴァイオリン=猶井悠樹(なおいゆうき。N響)、チェロ=奥泉貴圭(おくいずみたかよし。水戸室内管弦楽団等)、ピアノ=加藤洋之(かとうひろし。1990年ジュネーブ国際音楽コンクール3位)です
1曲目のシューマン「ピアノ三重奏曲第2番ヘ長調」は、1850年2月22日にクララ・シューマンのピアノ、フェルディナント・ダーヴィトのヴァイオリン、ユリウス・リーツのピアノという当時最高レベルのキャストにより初演されました 全体的に明るい基調の曲です。とくに第2楽章が美しく、印象に残りました
ピアノの加藤は髪の毛が淋しい演奏家ですが、ピアノを弾くたびに顔の表情を変えます 悲しいメロディーの時は悲しそうに、楽しいメロディーの時は嬉しそうに、時にヴァイオリンの猶井に向かって、時にチェロの奥泉に向かって、顔を向けながらメッセージを伝えます われわれ聴衆はピアノの加藤の顔の表情を見れば、いま演奏されている曲がどんな雰囲気の曲かが瞬時に分かるという訳です
ヴァイオリンの猶井は一見、イタズラ坊主といった感じ。チェロの奥泉はメガネをかけてインテリ風、一見”名探偵コナン”です。あくまでも一見で、演奏は素晴らしいのです
2曲目のメンデルスゾーン「ピアノ三重奏曲第2番ハ短調」は、ここ数日、CDを聴いて予習しておいたので、すんなりと耳に入ってきました すべての楽章が魅力に満ちていますが、とくに第3楽章の「スケルツォ」はメンデルスゾーンならではの超高速パッセージで、爽快です
休憩後のブラームス「ピアノ三重奏曲第2番ハ長調」は、ブラームスが40代の終わりごろの円熟期に作曲された”渋い”作品です 順調に演奏が進み第2楽章が終わってチューニングも終え、第3楽章に移ろうとした時のことです。ピアノの加藤が2人に演奏開始の合図をしようとした時に、ホールの外から”お知らせチャイム”が聴こえてきたのです。加藤はニコッとして「あれっ、じゃまが入ってしまいましたね。ちょっと待ちましょうね」といった表情で手を休めました。聴衆も、間の悪いチャイムに失笑しながらも待つことにしました
第3楽章はスケルツォですが、途中で明るく魅力的な旋律が演奏され、印象に残ります そして第4楽章のフィナーレに入り、完全燃焼の演奏が展開します
熱演に対して会場いっぱいの拍手が3人を包みます アンコールに穏やかな三重奏を演奏しました。ベートーヴェンのような、ハイドンのような・・・・・・しかし、まさかモーツアルトだとは思いませんでした帰りがけに掲示で確認したら「モーツアルト作曲ピアノ三重奏曲ハ長調K.548から第2楽章”アンダンテ・カンタービレ”」であることが分かりました とてもいい曲だったので、家に帰ってからリリー・クラウスのピアノ、ウィリー・ボスコフスキーのヴァイオリン、ニコラウス・ヒューブナ―のチェロの演奏で聴き直しました。モーツアルトはいいです