24日(日)。昨夕、サントリーホールで東京交響楽団の第608回定期演奏会を聴きましたプログラムは①ブラームス「悲劇的序曲」、②マーラー「カンタータ:嘆きの歌」(初稿版)の2曲。指揮は秋山和慶、コンマスは大谷康子です
公演前に「この公演はCD録音するのでご協力ください」というアナウンスが流れました 舞台上には8本のマイクが林立しています 拍手に迎えられて秋山和慶が颯爽と登場します
1曲目のブラームスの「悲劇的序曲」は1880年、「大学祝典序曲」とともにザルツブルク近郊のバート・イシュルで作曲されました 「大学祝典序曲」が明るく輝きに満ちているのに対し、「悲劇的序曲」は深い感動に満ちた曲です 9月13日のクララ・シューマンの誕生日に彼女とピアノ連弾で初めて披露したとのことです。ブラームスはクララにクラクラでしたから
秋山和慶は東響からブラームスの魅力を思う存分引き出していました。この人の指揮は、見ていて気持ちがいいです 無駄がなく、きびきびしていて、演奏する側から見ても多分演奏しやすいのではないかと思います どこかのオケがシェーンベルクだったか、誰だったかの曲を練習中に、オケが全く揃わなくて困っていた時に、秋山氏が「どれ貸してごらん」と言って指揮棒を受け取り、タクトを振ったらピッタリ合った、というエピソードを聞いたことがあります 古典だろうが、ロマン派だろうが、現代音楽だろうが、秋山和慶にとって”苦手”はないのでしょう
休憩時に舞台の後ろのP席に東響コーラスのメンバーが入場します。中央の男声陣を左右の女声陣が挟む態勢を取ります。総勢約180名 いよいよマーラーのカンタータ「嘆きの歌」の始まりです。ソリスト達の入場です ソプラノの小林沙羅は淡いパープルのドレス、星川美保子は黒のドレス、メゾソプラノの小川明子は白地に黒っぽい模様の入ったドレス、富岡明子はグリーンのドレスで、テノールの青柳素晴、バリトンの甲斐栄次郎とともに登場します
カンタータ「嘆きの歌」は1878年から1880年にかけて作曲されました(初稿版)。マーラーがウィーン楽友協会音楽院を卒業してオーストリアで指揮者デビューを果たした時期に当たります ルートヴィヒ・ベヒシュタイン編纂のメルヒェン集に所収された「嘆きの歌」や、グリム兄弟によるメルヒェン集の「歌う骨」からインスピレーションを受けて作曲しました 初稿版以降、1894年にマーラーは第1部をまるごと削除して2部構成に書き換えています。そして1901年2月にウィーンでマーラー自身の指揮により初演しました
物語は第1部「森のおとぎ話」、第2部「楽師」、第3部「婚礼の出来事」から成りますが、次のようなストーリーです
「気位の高い女王が『森で赤い花を見つけてきた者と結婚し、その者を王位に就かせよう』と告げますある兄弟が森に花を探しに出ますが、先に花を見つけた弟を兄が殺害して花を奪い、王位に就きます森を歩く楽師が弟の骨を見つけ、その骨で笛を作って吹くと、弟がわが身に起こったおぞましい出来事を語り出します 女王と兄の婚礼の場に楽師が現われます。王の前で楽師が笛を吹くと真相が歌われ、婚礼の場は騒然となり、女王は倒れ、城も崩れ落ちます。最後に残るのは哀しさだけ」
ソリストは誰もが素晴らしく、「嘆きの歌」を語っていました。個人的にはソプラノの二人:小林沙羅と小川明子が印象に残っています また、合唱の東響コーラスの頑張りは特筆に値します 先日も東京都交響楽団の演奏会に招かれてモーツアルトの「レクイエム」を見事に歌っていましたが、最近レベルアップが図られているのではないでしょうか
秋山和慶の指揮のもと、裏方のバンダ(管・打楽器のスモール・オケ)も含めて東響の面々は素晴らしい演奏を展開し、マーラーの世界を表出させてくれました。CD化に相応しい素晴らしい演奏でした
東京交響楽団のプログラム「シンフォニー」3月号の解説によると、初稿の全曲初演は1997年10月7日、マンチェスターでケント・ナガノの指揮となっています。私が”予習”で聴いたのはサイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団によるCD(1983年~84年録音)です いま世界のベルリン・フィルの常任指揮者を務めるラトルは初稿の全曲初演の13~14年も前にCD録音をしていた訳です 当時は誰も「嘆きの歌」の初稿版などに目もくれなかったと想像します。さすがはラトルです