人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

鬼才フランソワ・グザヴィエ・ロトの指揮で聴く~読売日響第550回定期演奏会

2015年07月02日 07時01分17秒 | 日記

2日(木).昨夜、当ブログの「読者」登録数がついに500人に達しました ご覧いただいている皆さまのお蔭です。ありがとうございます 益々休めなくなりました ということで、わが家に来てから266日目を迎え,人生の代わりに靴下を背負っているモコタロです 

 

          

             ぼくは靴下は履かないんだよ 履かない一生だよ

 

 

  閑話休題  

 

昨夕,サントリーホールで読売日響の第550回定期演奏会を聴きました プログラムは①ブーレーズ「ノクタシオン」から第1,7,4,3,2番,②ベルク「ヴァイオリン協奏曲”ある天使の思い出に”」,③ハイドン「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」(管弦楽版)です 指揮は鬼才フランソワ・グザヴィエ・ロト,②のヴァイオリン独奏は郷古廉です

 

          

 

指揮のロトは1971年パリ生まれ.2003年に,17世紀から現代までの作品を,それぞれの時代の楽器で演奏するオーケストラ「レ・シエクル」を創設,各国で演奏しています 2011年には読響常任指揮者カンブルランの後任としてバーデンバーデン&フライブルクSWR(南西ドイツ放送)響の首席指揮者に就任,今年9月にはケルン歌劇場の音楽監督兼ケルン・ギュルニヒ管の首席指揮者に就任することが決まっています 今,世界が注目する指揮者の一人です

 

          

 

1曲目のピエール・ブーレーズ「ノクタシオン」は,1945年にメシアンの下で学んでいた20歳の彼が「ピアノのための12のノクタシオン」を作曲したのが始まりで,その33年後の1978年(第1~4番)と1997年(第7番)に5曲が自らの手で管弦楽版に編曲されたものです この日は第1番,第7番,第4番,第3番,第2番の順に演奏されましたが,これは作曲者自身が推奨している順番とのことです

最初からフル・オーケストラ編成で,左サイドにハープ3台,ピアノ,オルガンが配置され,弦楽器は左から第1ヴァイオリン,第2ヴァイオリン,チェロ,ヴィオラ,その後ろにコントラバスというオーソドックスな態勢をとります

ちょっと見がジャック・ニコルソン似のロトが登場,第1番の演奏に入ります.大管弦楽が咆哮する,まさに”現代音楽”の代表のような曲です 最後の第2番は「とても生き生きと,けたたましく」と指示されていますが,文字通りけたたましい音楽です さすがにサントリーホール広しと言えどもこれを聴いて寝ている人はいないようです 2階席の上の方から盛んにブラボーがかかっていましたが,私にはこの曲の良さが分かりません.普段聴きなれていない音楽への拒否反応と言っても良いかもしれません

オケが少し縮小して,2曲目のベルク「ヴァイオリン協奏曲”ある天使の思い出に”」の演奏に移ります.なぜこのサブ・タイトルが付いたのかと言えば,マーラーの未亡人アルマが建築家ヴァルター・グロピウスと再婚してもうけた娘マノンが,病気のため18歳の若さで死去し,マノンをかわいがっていたベルクが,マノンへの追悼曲としてヴァイオリン協奏曲を作曲したのです.つまり”ある天使”とはマノンのことです

1935年に作曲されたこの曲は2つの楽章から成りますが,それぞれが2つの部分から成り立っています この曲を生で聴くのは,数年前に南紫音の演奏で聴いて以来です ソリストの郷古廉(これで「ごうこ・すなお」と読みます)がロトとともに登場し,早速演奏に入ります この曲を聴く限り,師のシェーンベルクよりもずっと聴きやすい曲想で,亡きマノンへの追悼の想いが迫ってきます 第2楽章冒頭などは慟哭の音楽です.郷古廉の演奏は初めて聴きましたが,テクニック上は優れたものがあり,理知的ながらも抒情性にも溢れ,好感を持ちました

 

          

 

休憩後のハイドン「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」(管弦楽版)では,オケが極端に縮小され総勢40数人の小編成になります ロトはオケの態勢を変えます.この曲では左奥にコントラバス,前に左から第1ヴァイオリン,チェロ,ヴィオラ,第2バイオリンという対向配置をとります

この曲はスペインのカディスの有力な司祭ホセ・サルーズの依頼により作曲したものです.司祭は聖金曜日の礼拝にあたって,キリストの最後の7つの言葉のそれぞれを唱えるごとに,間奏曲のように1曲10分ずつハイドンの管弦楽曲を演奏することを望んだといいます しかし,ハイドンは聴衆を飽きさせることなくアダージョばかりの曲を7つも演奏することには抵抗を覚えたようです その結果,時間的な制約を緩めてもらうことで妥協し作曲に取りかかったと言われています 「7つの言葉」であるから7つの曲から成り立っているかと思いきや,最初に「序奏」があり,第1のソナタ~第7のソナタが続き,最後に「地震」で締めくくるので全部で9つの部分から成ります 最後の「地震」を除いてすべての部分が「アダージョ」「ラルゴ」などの緩徐楽章から成り立っているので,クラシック音楽を聴くことに慣れていない人にとっては辛いものがあるかも知れません アレグロ~アダージョ~アレグロというように緩急が交互に演奏される曲であれば目先が変わって飽きないのですが,緩・緩・緩・緩と続くとさすがに刺激が欲しくなります その点,ハイドンは作曲に当たって苦労したのだと思います.9曲のちょうど中間に当たる第4のソナタ「ラルゴ」は力強い総奏により開始することでアクセントを持たせており,次の第5のソナタ「アダージョ」では弦によるピチカートによって目先を変えます

第7のソナタ「ラルゴ」が終わるところでフルートがずっとなり続け,その直後の荒々しい強奏による「地震」につなげます.これは,イエスの死の直後に起きたと伝えられる地震が描写的に表されています マタイ福音書によると「そのとき,神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け,地震が起こり,岩が裂け,墓が開き,眠りについていた多くの聖者たちの体が生き返った」と書かれています

静かな曲が淡々と演奏されてきて,最後に大地震が起きて天地がひっくり返るというところは,後にラヴェルが「ボレロ」にアイディアを転用したのではないか,と勘繰ってしまいました

さすがに”鬼才”と呼ばれるロトです.普通ならアダージョ続きの曲に飽きてしまうところを,集中力を絶やさず,最後まで聴衆を引っ張っていきます

この日のコンサートを聴き終って思ったのは,ロトはなぜブーレーズ,ベルク,ハイドンによるプロブラミングを計画したのかということです そういうことが,事前のインタビューなどによってプログラムの解説に書かれているともっとコンサートが楽しめるようになると思うのですが,そう簡単なことではないのでしょうか

コメント
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