11日(土)。昨日の日経朝刊・文化欄に「世界のカルテット総なめ~来日公演やレコード・CD聴き続け、魅力を本に」の見出しのもと、音楽プロデューサー幸松肇(こうまつ・はじめ)氏がエッセイを書いています。超訳すると
「早稲田大学交響楽団でヴァイオリンを弾いていた。卒業後、レコード会社の東芝EMIに入社しプロデューサーも務めた その傍ら、趣味で弦楽四重奏曲を聴きまくった。日本のカルテットが発展するきっかけは、1952年と54年に米国で活躍していたブタペスト弦楽四重奏団が来日したことだ
個人的に衝撃を受けたのは、前衛的で難易度の高いバルトークの弦楽四重奏曲を得意とするジュリアード弦楽四重奏団だ
彼らに影響されて巌本真理弦楽四重奏団がバルトークを演奏会で取り上げた。さらにジュリアードの影響を受け、ヴィオラの磯村和英ら桐朋学園の出身者が69年に米ジュリアード音楽院で結成した『東京クヮルテット』は70年のミュンヘン国際コンクールで優勝した
カルテットにのめり込んだ結果、自宅の離れの一軒家を丸ごと倉庫にしなければならないほどレコードやCD,資料が増えていった
現在までに活動した弦楽四重奏団983団体を国や地域別に分類した『世界の弦楽四重奏団とそのレコード』を書いて、全6巻が完結した
演奏会にも頻繁に通うが、残念なことに聴衆のほとんどは高齢者だ
ベートーヴェンを筆頭にシューベルト、バルトーク、ショスタコーヴィチら素晴らしい弦楽四重奏曲を若者に聴いてほしい。人生を切り開く糧を得られるはずだ
案内役としてお役に立ちたい
」
幸松肇氏と言えば、今から30年ほど前の80年代半ばに、神奈川県民ホールの会議室で同氏による「世界の弦楽四重奏団の歴史」をテーマにしたレクチャーがあり、聞きに出かけたことがあります 幸松氏の弦楽四重奏団に関する知識の豊かさと深さに驚嘆しました
その時「若手の弦楽四重奏団で、いま最も注目しているグループはどれですか?」という質問が出され、「上海カルテットです
」と答えていたのを覚えています
残念ながら私は、その前にも後にも上海カルテットを聴いたことがありません
ということで、わが家に来てから274日目を迎え,お菓子の袋に接近するモコタロです
カールって麦わら帽子をかぶったオジサンのお菓子かい?
閑話休題
昨夕、すみだトリフォニーホールで新日本フィルの第545回定期演奏会を聴きました プログラムはマーラーの「交響曲第2番”復活”」。演奏は、ソプラノ=ドロテア・レシュマン、メゾ・ソプラノ=クリスティアーナ・ストーティン、合唱=栗友会合唱団、指揮はダニエル・ハーディングです
実は,私はトりフォニーシリーズ第2日目の会員なのですが, 2日目が東響オペラシティ-シリーズ公演と重なったため,新日本フィルの振り替えサービスを利用して1日目にしてもらったのです ということで,用意された席は1階20列33番,会場中央通路のすぐ後ろの列の右ブロック右から5つ入った席です.オケは左奥にコントラバス,前に左から第1ヴァイオリン,チェロ,ヴィオラ,第2ヴァイオリンという対向配置をとります
言わばハーディング・シフトです.弦楽器の後ろに管・打楽器が並び,その後ろに混声合唱団が入るので,ステージは満員状態です
コンマスはチェ・ムンス,隣には西江辰郎がスタンバイします.いつもは左サイドにいる第2ヴァイオリンの篠原英和さんは右サイドにスタンバイします
先日の室内楽シリーズで応援することを決めた第1ヴァイオリンの古日山倫世,第2ヴァイオリンの松崎千鶴,ヴィオラの脇屋冴子の3人も所定の位置に着いています
指揮者ダニエル・ハーディングが登場,タクトを振り下ろして第1楽章が開始されます 冒頭から弦楽器の鋭い切り込みによって気迫のこもった演奏が展開します
ハーディングの指揮は弛緩するところのない小気味の良いテンポが特徴かも知れません
1975年イギリス生まれのハーディングは現在,スウェーデン放送響の音楽監督,ロンドン響の首席客員指揮者を務めていますが,2016/17年シーズンからパリ管弦楽団の音楽監督に就任することが決まっています
第1楽章が終わったところで,舞台袖からソプラノのレシュマンとメゾ・ソプラノのストーティンが登場し,合唱団の前にスタンバイします.併せてパイプオルガン奏者も所定の位置に着きます
マーラーは第1楽章の後は「少なくとも5分の休止をおく」と指示しています.しかし,ジェット旅客機で世界を渡り歩く現代の指揮者はそんな悠長な指示には従いません 5分って相当長く感じると思います.おそらく聴衆も時間を持て余すことでしょう
ハーディングはソリストが座ってから間もなく第2楽章を開始しました
この楽章と次の第3楽章は間奏曲のような位置付けの曲です.この曲のハイライトは第4楽章「原光」と第5楽章「終曲(復活)」です
合唱団はなぜか座ったまま歌っています.しかし,第5楽章の終盤に至ると,ハーディングの合図で一斉に立ち上がり,復活の歌を歌います 多分,マーラーはそうするように指示していないので,ハーディングの考えによる演出だと思われます
また,この楽章ではステージ上の演奏者と舞台裏のバンダ(小楽団)との対話が聴けますが,これを可能にしているのは小型監視カメラです
2階正面のパイプオルガンの左手の下の手すりに設置されており,レンズは指揮者を捉えています.カメラが映し出す指揮者の映像を見ながら舞台裏の演奏者は演奏しているのです.この日の”対話”は素晴らしいものがありました
さて,この演奏会の「プログラム・ノート」は例によって音楽評論家のA氏によって書かれていますが,分かりにくいこと極まりない内容です プログラムの解説は,あくまでもコンサートを聴く人が演奏曲目や作曲家に対する理解を深めることができるものでなければ意味がないと思うのです
ところが,この人の解説は”文学”を狙っているのではないかと疑います.自分の書く文学的表現に酔っているとしか思えません
何度も言いますが,プログラム・ノートに文学は要りません.私のような音楽の素人にも分かり易く解説するのがプロの仕事だと思います.皆さんはどう思われますか