5日(日).昨日の朝日別冊「be」第1面で,先日観た鈴木清順監督映画「ツィゴイネルワイゼン」に登場した「切通」が取り上げられていました 撮影場所は鎌倉市の釈迦堂口切通で,映画の中では陸軍士官学校ドイツ語教授の青地豊二郎(藤田敏八)の洋館と,元同僚の中砂(原田芳雄)の古民家の間にあり,二人の関係を微妙に結び付け,微妙に隔てている象徴のような存在になっています
なぜこの記事をご紹介しようとしたかというと,記事に次のような記述があったからです
「園(中砂の妻)は青地の名を取った娘・豊子を生んだあと急逝.中砂は,園とそっくりの芸者・小稲をめとる.そして中砂もあっけなく死ぬ.5年後.青地は切通で豊子と出会う.洞内に鈴の音を響かせる幼子を見て青地は思っただろう.もしかすると,私の娘ではないのか?」
映画の中に,その伏線はありました.青地が友の不在時に中砂宅を訪ねた時,園に「お帰りにならないで」と泣いて懇願されたのです そこで何があったのか
この記事を読んで,映画の数々のシーンを思い起こしています
ということで,わが家に来てから269日目を迎え,4つのリモコンに飽きれるモコタロです
何で 4つも リモコン必要なの? ご主人はテレビ見ないけど
閑話休題
車谷長吉著「世界一周恐怖航海記」(文春文庫)を読み終わりました 著者の車谷長吉(くるまたに・ちょうきつ)の存在を知ったのは,朝日新聞・土曜の別冊「be」の読者相談コーナー「悩みのるつぼ」の回答者としてです
何人かの回答者が持ち回りで読者の相談に回答を寄せているのですが,その中でただ一人,『人間なんてどうしようもない存在だ』といったような,相談者を奈落の底に落とすような回答をしていたのがこの車谷氏だったのです
車谷長吉氏は昭和20年兵庫県生まれ.慶應義塾大学文学部卒.広告代理店や料理屋で働きながら小説家を目指す.平成5年に「鹽壺の匙(しおつぼのさじ)」で三島由紀夫賞と芸術選奨文部大臣新人賞を受賞,平成10年には「赤目四十八瀧心中未遂」で第119回直木賞を受賞しています 残念ながら今年5月17日に69歳で死去しています
この「日記」は,平成17年12月26日に旅客船トパーズ号で横浜港を出港してから翌18年3月30日に横浜港に寄港するまでの出来事とともに,著者の昔話や文学論が展開されています 旅の道連れは夫人の高橋順子(詩人)と新藤涼子(詩人)です
平成18年元日の日記では,生き方についてこう書いています
「乗客はみな,この船旅を貪り楽しもうとしている.この『むさぼる』という空気が息苦しい.私は『楽しむ』というのが嫌いだ.『楽をする』のが嫌い.『楽』よりは『苦』が好き.と言うより『苦を楽しむ』が好き」
2月20日の日記では,小説を書く姿勢について,こう書いています
「私の小説を評して,二流の文芸評論家が『車谷の作品は自虐的だ.』とよく言う.身に覚えのないことだ.私は自虐など考えてみたこともない.他者に厳しい目を向ける以上,それ以上に厳しい目を自己に向けなければいけない,と思うだけだ.自分が自分であることの不快.これが私が書きたいことだ.この『不快』を『自虐的』などと言われるのは,不快である」
1月24日の日記では,吉田兼好についてこう書いています
「この世への執着として,吉田兼好は『徒然草』を書き残した.『徒然草』は絶望の書である.仏道修行にも実は救いがないことを知らしめる書である.それでいて兼好は自殺もしなかった.天寿を全うした.愚か者である」
しかし,2月9日の日記を読むと,清少納言との比較では兼好は持ち上げられています
「清少納言は俗物だ.栄華へのあこがれだけで生きている.人の地位だけを見て,人の存在を見ていない.その点,吉田兼好の『徒然草』と大違いだ.兼好は無常観(死)によって人を見ている.末期の眼で人を見ている.もちろん,清少納言にも自然風物を鮮やかな美意識で見る目はあるが,それだけでは駄目だ.人間存在とは何か,を見ていない.人間の地位の上下だけを見ている.私は『枕草子』を全部読むのはこれで二度目だが,こんどは失望した」
長い船旅の中で,1月10日にはこんな感動的なシーンにも出会っています
「安西冬衛に『春』と題して『てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った』という一行詩があるが,夕五時頃,インド洋を飛んで行く蝶を見た.黄色い小さな蝶だった.この船に乗ってから最高の感激だった」
恥ずかしながら,私が車谷長吉氏の作品を読むのはこれが初めてですが,日常の一コマを切り取った日記を読んだだけでも著者の味わいのある語り口に魅かれます 最初は漢字が読めなかった「鹽壺の匙」でも,遠くない将来に読んでみようかと思います