人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

尾高忠明+東京フィルでチャイコフスキー「交響曲第5番」を聴く~フェスタサマーミューザ

2015年07月30日 07時01分23秒 | 日記

30日(木)。わが家に来てから293日目を迎え,ぽち袋をもらって戸惑うモコタロです 

 

          

          ぽち袋もらった 何が入っているのかな? 僕たちの生活費?

 

  閑話休題  

 

昨夕、ミューザ川崎で東京フィルのコンサートを聴きました これは「フェスタ・サマーミューザ」の一環として開かれたコンサートで、プログラムは①武満徹「波の盆」、②グリエール「ホルン協奏曲」、③チャイコフスキー「交響曲第5番」。②のホルン独奏はイェンス・ブリュッカー、指揮は尾高忠明です

 

          

 

午後7時からの開演に先立って,午後3時半から同じ会場で公開リハーサルがあったので見学しました そうです.休暇を取りました.それが何か?

ゲネプロは自由席なので,2階右ブロック左通路側席に座りました ウィークデーの昼間ということもあり,聴衆は100人を少し超えるくらいでしょうか.ステージ上ではすでにオケの面々が各自のパートの練習にいそしんでいます ラフな服装はゲネプロならでは.指揮者・尾高忠明氏が登場します.黒のTシャツ+スニーカーという,1円玉のような・・・・つまり,これ以上崩しようのないラフなスタイルです さっそく「おはようございます」の挨拶もそこそこにタクトを振ります.Tシャツの背中を見ると,舟の上で釣り人が釣り糸を垂れている絵が描かれているのが見えます 尾高氏は釣りの趣味があるのでしょうか

演奏曲目順にリハーサルが行われます.最初の武満徹「波の盆」は,演奏しては止めてアドヴァイスをするということを繰り返します 短く切られた音楽を通しても美しさが際立ちます この曲には25分弱の時間を割きました.次に北ドイツ放送交響楽団のホルン奏者プリュッカーを迎えグリエール「ホルン協奏曲変ロ長調」のリハーサルに移ります.大柄なブリュッカーはそれだけで存在感があります この曲は途中で止めることなく全楽章を通して演奏し,最後にソリストの気になる部分をおさらいして終了です.この曲にも25分弱の時間を割きました

10分間の休憩後,チャイコフスキー「交響曲第5番」のリハーサルに入ります.尾高氏が再登場,背中を向けた時に「おやっ?」と思いました 黒のTシャツは変わらないのですが,「舟に釣り人」の絵ではなく,漢字で大きく「無釣人」と書かれているのです 尾高忠明という人はこういうユーモア精神に溢れた人ですが,”釣り”に引っかけてTシャツの図柄を変えて,聴衆の心を一本釣りしようとしたのかも知れません

チャイコフスキーの第5番は,あまり途中で止めることなくひと通りおさらいし,弦楽器の演奏部分を何か所かやり直しして終了しました.この曲には約50分かけました

 

          

 

さて本番です.自席は1C10列14番,センターブロック左通路側席です.会場は8割方埋まっている感じでしょうか コンマスの依田真宣の合図でチューニングが行われ,尾高氏が登場,さっそく1曲目の武満徹「波の盆」の演奏に入ります この曲はもともと1983年に放映されたテレビドラマのテーマ曲ですが,作曲者自身が1996年に演奏会用の組曲として編曲したものです

聴いていて思うのは,イギリスの作曲家,例えばディーリアスやヴォーン・ウィリアムスに曲想が似ているということです 一言で言えば”郷愁を誘う”音楽です.武満徹がイギリスの作曲家から影響を受けたかどうか不勉強で知りませんが,耳に訴えかけてくる音楽は良く似ています

2曲目のロシアの作曲家・グりエールの「ホルン協奏曲変ロ長調」は1951年に初演されましたが,3つの楽章から成ります 1951年と言えば現代の音楽と言えますが,聴く限りではシェーンベルクやベルクなどに代表される”聴いていて頭が頭痛になる”音楽ではなく,ちゃんとメロディーのある聴きやすい曲です ただ,ゲネプロと本番と2回聴いて思ったのは,「演奏者にとっては楽しい曲かも知れないけれど,聴く側からすれば3回以上は聴く気がしない作品」だということです.後半に聴くチャイコフスキーの交響曲のように,現代に至るまで演奏され続けている『名曲』は聴けば聴くほど新たな発見があり,その良さが一層分かってきますが,単に”聴き易いだけ”の曲は聴けば聴くほど飽きがきます

休憩後はチャイコフスキーの交響曲第5番です.第1楽章では冒頭の”運命的な暗いメロディー”が全体を覆い,いつまでも立ち上がれない状況に追い込まれていますが,第2楽章,第3楽章を経て,第4楽章に至ると,その同じメロディーが”勝利のテーマ”として生まれ変わって登場するのです ベートーヴェンの”苦悩を乗り越えての歓喜”というテーマが,チャイコフスキーのこの曲で再現されているかのようです

東京フィルの面々は,尾高の煽り立てる指揮によく付いていき,見事なアンサンブルを聴かせてくれました 何度かカーテン・コールがありましたが,尾高は拍手を制し,何かを言おうとします.聴衆は「おっ,アンコール曲の説明が始まるのか!?」,あるいは「炎のコバケンのように最後に一言あるのか!?」と期待して耳を傾けます が,尾高は「精根尽き果てて,アンコールはございません」と言って舞台袖に引き上げました

ここにきて初めて私は,ゲネプロで尾高氏が着ていたTシャツに描かれていた「無釣人」の意味を理解しました 尾高氏はアンコールなしで舞台を去る「つれない人」だったのではないか,と

 

          

コメント
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