17日(金)。わが家に来てから280日目を迎え,バルトークのピアノ協奏曲のCDを見るモコタロです
アンダって誰? フリッチャイってだれ? バルトークってだ~れ?
閑話休題
昨夕、サントリーホールで東京交響楽団の第632回定期演奏会を聴きました プログラムは①ストラヴィンスキー「管楽器のための交響曲」、②バルトーク「ピアノ協奏曲第1番」、③ベートーヴェン「交響曲第5番ハ短調”運命”」で、指揮はジョナサン・ノット、②のピアノ独奏はデジュー・ラーンキです
ステージ中央には2曲目のバルトークのためにグランド・ピアノが置かれています 1曲目のストラヴィンスキーの「管楽器のための交響曲」の演奏のために管楽奏者だけ23名が登場します.ピアノがある関係で演奏者が客席に近い所で演奏するのでなく,いつもの後方の定位置で演奏します
この曲は1920年の作品ですが,ロシアの民話や民謡を題材として,リズムを中心に迫力のある音楽を展開する「原始主義」から「新古典主義」に移行する過渡期の音楽と位置付けられています
聴いている限りでは,ストラヴィンスキーらしい色彩感豊かなリズム中心の曲ですが,演奏はかなり複雑で難しそうです どちらかと言うと,滑らかに流れる曲想ではなく,瞬間瞬間で音をぶった切り,顔色を変えていく音楽といった風情です
作曲家のピエール・ブーレーズは「モンタージュ的」と評したそうですが,言い得て妙です
2曲目のバルトーク「ピアノ協奏曲第1番」の演奏のため,弦楽奏者が入場します.コンマスは水谷晃ですが,この人のコンマスぶりもすっかり板についてきました
ロマンス・グレイのデジュー・ラーンキがノットと共に登場,ピアノに向かいます バルトークは民族的な音楽と古典を融合した音作りが特徴ですが,演奏を聴いている限り,『打楽器としてのピアノ』を強く意識します
1曲目の作曲者ストラヴィンスキーとの共通点ということでは,音楽の3要素(リズム,メロディー,ハーモニー)の中のリズムを中心に置いた曲想です
上の写真でモコタロが見ているCDで予習し,全体像を頭に入れておいたのですんなりと耳に入ってきました
とても良い曲です.バルトークって面白い,とあらためて思いました
はっきり言って,後半の「運命」はあまり期待していないので,前半の2曲を聴いたところで,このブログのタイトルは決まりました.「ノット+ラーンキ+東響でバルトーク『ピアノ協奏曲第1番』を聴く」です
ところが後半のベートーヴェン「交響曲第5番ハ短調”運命”」を聴いて,このタイトルはすっ飛びました
指揮台に上がって客席に愛想を振り撒くまではいつもと同じジョナサン・ノットですが,後ろを振り向いてオケに対峙した瞬間に音楽の鬼と化したのです たぶん,指揮者を正面から見るP席の人はノットのもの凄い形相を見たはずです
一言で言い表せば『気迫のこもった指揮』です.オケも,ノットの気迫が乗り移ったかのように渾身の演奏を展開します
いつか,どこかの首相が,海水は「アンダー・コントロールにある」と言いましたが,ノットのタクトに導かれた東響の面々はまさに「アンダー・コントロール」の状態にありました
付け入る隙のない演奏というか,前進あるのみの演奏というか,とにかくこれ以上集中力に満ちた演奏はないのではないか,と言えるような”狂気迫る”ような迫真の演奏なのです
これが一歩間違うと「ハ短調」が「破綻調」になってしまいます.かなり前のことですが,アンドリュー・リットンというアメリカの指揮者による”運命”は,まさに”破綻調”でした
やけに威勢のいい,実にあっけらかんとした演奏で,後に何も残らない演奏だったのです
ノットとは対極にある演奏だったと言えます
さて,ノットは第1楽章が終わってもタクトを下ろさず,そのまま第2楽章に移ります 言うまでもなく,第3楽章から第4楽章へは音が続いているので,ノットはこの曲を大きく2つのグループに分けて演奏したことになります
こういう演奏に接したのは初めてです
第3楽章から第4楽章にかけては,ベートーヴェンの『苦悩から歓喜へ』というモットーが音で表現されますが,ここがこの曲の白眉です ベートーヴェンの思想が凝縮されたような,力強く推進力に満ちた演奏でした
もちろん,終演後は会場が割れんばかりの拍手とブラボーの嵐でした かくして,このブログのタイトルが最終的に次のように決まったのです
「気迫の演奏!~ジョナサン・ノット+東響でベートーヴェン『交響曲第5番ハ短調”運命”』を聴く」