16日(土)。わが家に来てから657日目を迎え、夏バテか あまり食欲がなく、テーブルの下で一休みするモコタロです
昨日は雨が降って涼しかったけど 今年の夏は暑いよね!
閑話休題
チケットを2枚買いました 1枚目は10月28日(金)午後7時から上野の東京藝大奏楽堂で開かれる「藝大フィルハーモニア第377回定期演奏会」です。プログラムは①ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第3番ニ短調」、②ストラヴィンスキー「春の祭典」で、①のピアノ独奏は有森博、指揮は高関健です
なお、6時15分からプレコンサートがあり、ストラヴィンスキーの「弦楽四重奏のための3つの小品」が演奏されます。入場料は全席自由で3,000円です
2枚目は11月3日(木・祝)午後2時から池袋の東京芸術劇場コンサートホールで開かれる「新交響楽団第235回演奏会」です プログラムは①吉松隆「鳥のシンフォニア ”若き鳥たちに”」、②伊福部昭「シンフォニア・タプカーラ」、③ブラームス「交響曲第1番ハ短調」です
指揮は山下一史。入場料はS席=3,000円、A席=2,500円、B席=1,500円です。私の目当ては”ゴジラ”の音楽でお馴染みの伊福部昭の曲です
も一度、閑話休題
吉本隆明著「真贋(しんがん)」(講談社文庫)を読み終りました 吉本隆明は1924年東京生まれ、詩人、評論家。東京工業大学卒。戦争体験の意味を自らに問い詰め、50年代に文学者の戦争責任論・転向論で論壇に登場、60年安保闘争を経て、61年「試行」を創刊。主な著書に「共同幻想論」「言語にとって美とは何か」などがある。2012年3月死去
著者は「まえがき」で次のように書いています
「いま、世の中を見ていると、すべてが逆な方向に進んでいるような気になることがある あまりにも常識的な『問い』と『答え』にあふれ、実は本当に考えるべきことを考えずに、考えなくてもいいことを考えているのではないか
滑稽ですらある。まずは、どうでもよさそうなことから考えてみる。そういった視点が必要なのではないか。これまでとはちょっと違う部分を見る。そうしたことで少しは世の中の見方が変わっていく可能性があるかもしれない。そんなことを期待して本書に取り掛かることにした
」
そして次の6つのテーマについて語っていきます
1.善悪二元論の限界
2.批評眼について
3.本物と贋物
4.生き方は顔に出る
5.才能とコンプレックス
6.今の見方、未来の見方
テーマが広範に及ぶので一つだけ例を挙げてみましょう 「2.批評眼について」の中の「『いいもの』は好き嫌いで判断できない何かを持っている」という話の中で、著者は次のように語っています
「文句なしにいい作品というのは、そこに表現されている心の動きや人間関係というのが、俺だけにしかわからない、と読者に思わせる作品です この人の書く、こういうことは俺にだけしかわからない、と思わせたら、それは第一級の作品だと思います
文芸批評の一番重要なところは、『俺だけにしかわからないことだ』あるいは『俺と作者にしかわからない』と読者に思わせる作家もいるし、『俺たちの世代にしかわからない』と思わせる作家がいることが、まず基本的に判断できて、そういうことを文章で表現できれば、批評を商売にできるのではないでしょうか それはたぶん、素質の問題ではなくて、読みの深さや、その人の持っている時代性、周囲の小さな環境から、さらには社会の大きな環境まで、そういうものを含めていろいろなことを精神的に体験してことが必要なのかもしれません。それが文芸批評家だと言える条件のもっとも基本的なことだと思います
」
吉本氏は文芸批評の専門家なので、批評眼といったときには文芸批評のことを取り上げることになりますが、上記のことは音楽批評に当てはまるのだろうか?と考えてみるのも無駄ではないかもしれません
例えばベートーヴェンの弦楽四重奏曲第13番を聴いて、「この音楽は俺だけにしかわからない」、あるいは「ベートーヴェンと俺だけにしかわからない」と思うでしょうか? どうもそうではないように思います しかし、タイトルにあるように「『いいもの』は好き嫌いで判断できない何かを持っている」というのは真実だと思います
この本はそうした「考えるきっかけ」を与えてくれます。成り行きで生きている人にお薦めします