8日(月)。わが家に来てから今日で1648日目を迎え、2020年の米大統領選の民主党の有力候補者ジョー・バイデン氏が、女性からセクハラ行為をとがめられたのに対し、トランプ大統領がツイッターでからかった というニュースを見て感想を述べるモコタロです
トランプは自分のことは棚に上げて攻撃してるけど よほど大きな棚を持ってるな
昨日、初台の新国立劇場「オペラパレス」でツェムリンスキー「フィレンツェの悲劇」とプッチーニ「ジャンニ・スキッキ」のダブルビル公演を観ました 5日にゲネプロで同公演を観ているので、今回が2度目です
大野和士氏が新国立劇場オペラ部門の芸術監督に就任して、今年から1回の公演で2つのオペラを上演するダブルビル公演を1年おきに上演することになりました その初年度に取り上げられる「フィレンツェの悲劇」と「ジャンニ・スキッキ」の共通点は ①舞台がともにフィレンツェである、②作曲年代がほぼ同じである(1916年と1918年)、③上演時間がほぼ1時間であるということ、一方 異なる点は①前者がオーストリアのツェムリンスキーの作品であるのに対し、後者はイタリアのプッチーニの作品である、②前者が悲劇であるのに対し、後者は喜劇である、③登場人物は前者が3人であるのに対し、後者は15人である、ということです
ところで、「ジャンニ・スキッキ」はダブルビル公演で良く上演されますが、なぜ組み合わせ相手が「フィレンツェの悲劇」だったのかと言えば、今から27年前の1992年に本作品の日本初演を手掛けたのが当時32歳の大野和士氏だったからだと推測します 今回は自らタクトを取らないものの、新国立劇場オペラ部門の芸術監督として感慨深いものがあるのではないでしょうか
さてオペラは最初に「フィレンツェの悲劇」が上演されます この作品はアレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー(1871-1942)がオスカー・ワイルドの戯曲を元に1915年から16年にかけて作曲し1917年にシュトゥットガルトで初演された1幕もののオペラです
出演は、グイード・バルディ=ウゼヴォロド・グリヴノフ、シモーネ=セルゲイ・レイフェルクス、ビアンカ=齊藤純子。管弦楽=東京フィル、指揮=沼尻竜典、演出=粟国淳です
ストーリーは「商人シモーネは妻ビアンカとフィレンツェ大公の跡継ぎグイードの浮気を疑う。ビアンカは夫の死を願っている。男二人は決闘することになり、シモーネがグイードを絞め殺す。ビアンカは夫の強さを誉めそやし、シモーネは妻の美しさを讃える」という内容です
沼尻竜典氏がオーケストラピットに入り、前奏曲の演奏が始まります 濃厚な愛を表現したような長い音楽は、まるでリヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」冒頭の音楽のようです また、ウィーンで活躍しアメリカに渡って映画音楽で花開いたコルンドルトのようなメロディーも聴かれました ツェムリンスキーがリヒャルト・シュトラウスの影響を受けているのは間違いないのですが、よく考えてみたら、ツェムリンスキーはコルンゴルトの師匠でした したがって、正確にはコルンゴルトの方がツェムリンスキーの影響を受けたと言えます
フィレンツェ大公の跡継ぎグイード・バルディを歌ったウゼヴォロド・グリヴノフはモスクワ出身のテノールですが、ちょっと鼻にかかったような声が気になりましたが、歌唱力は申し分なく 声もよく通りました 商人シモーネを歌ったセルゲイ・レイフェルクスはロシア生まれのバリトンですが、声に力があり演技の面でも存在感が抜群でした その妻ビアンカを歌った齊藤純子は東京藝大大学院修了後、フランス政府給費留学生として渡仏し、その後世界各地で活躍しているソプラノですが、伸びのある歌声が魅力でした
ところで、このオペラの最後のシーンは、シモーネがグイードを手で絞め殺したあと、ビアンカに「次はお前の番だ」と死を宣告するのですが、ビアンカは「なぜ、あなたは今までその強さを見せてくれなかったの?」と言ってシモーネの男としての強さを讃えます。するとシモーネは「なぜお前は 今までその美しさを見せてくれなかったのだ?」と言って妻の美貌を讃えます これで「めでたし、めでたし、チャンチャン」と幕が降りるわけですが、私にはこのシナリオが納得できません
シモーネから死を宣告されたとき、ビアンカは死にたくないばかりに、とっさに夫の力の強さを持ち上げて命乞いしたのではないか 粟国淳氏の演出では、半透明の幕の向こう側でシモーネがビアンカの顔を撫でているような仕草をしながら二人の姿がフェードアウトしていったが、あの後、シモーネはビアンカの首を絞めるのではないか そうでなければタイトル通りの『悲劇』とは思えないし、『サロメ』を書いたオスカー・ワイルドの原作によるオペラらしくないのではないか、と考えました こいうのは「穿った見方」と言うのでしょうか
休憩後の2本目はプッチーニ「ジャンニ・スキッキ」です この作品はジャコモ・プッチーニ(1858‐1924)がダンテの「神曲」の一部を元に1918年に作曲した1幕もののオペラです 「外套」「修道女アンジェリカ」「ジャン二・スキッキ」の三部作として1918年、米ニューヨークのメトロポリタン歌劇場で初演されました
出演は、ジャンニ・スキッキ=カルロス・アルバレス、ラウレッタ=砂川涼子、ツィータ=寺谷千枝子、リヌッチョ=村上敏明、ゲラルド=青地英幸、ネッラ=針生美智子、ゲラルディーノ=吉原圭子、ベット・ディ・シーニャ=志村文彦、シモーネ=大塚博章、マルコ=吉川健一、チェスカ=中島郁子ほか。管弦楽=東京フィル、指揮=沼尻竜典、演出=粟国淳です
ストーリーは、「亡くなったばかりの大富豪ブオーゾの寝室で、彼の遺産が修道院に寄付されると知り、親類たちは愕然とする ブオーゾの甥リヌッチョと結婚したい娘ラウレッタに懇願され、ジャンニ・スキッキはブオーゾに成りすまして、遺言状を書き換える計画を立てる そしてまんまと遺産の一部が自分に相続されるよう企てる」という内容です
幕が開くとステージには、大きなデスクの上の部分が傾いて設置されていて(傾斜舞台)、卓上には大きな本、インク壺、ペンケース、ベル、目覚まし時計、クッキーの載ったお皿、天秤などが載っています そして、机の引き出しが一つだけ開くようになっています。大きな本の上には死んだばかりのブオーゾが横たわっていて、その周りで親戚の連中がうわべだけで嘆き悲しんでいます つまり、この舞台は 卓上の物を大きくすることによって、人間を小さく見せる効果を狙っている、言い換えれば、机の上で小人たちがお芝居をしていると見せかけているのです まるで、これから始まる遺産相続をめぐるドタバタ喜劇が「コップの中の嵐」に過ぎないのだ、と言わんばかりです これは面白い演出だと思いました
このオペラはストーリーが短い割に登場人物が15人もいるので、誰がどの役を演じて歌っているのか混乱してしまいます やっと歌手と役柄が一致した!と思ったらオペラが終わっていた、という感じです
ジャンニ・スキッキを歌ったカルロス・アルバレスは、スペイン生まれのバリトンですが、今や世界中のオペラ劇場で歌っている人気者です 声自体に魅力があり よく通る声で聴衆を魅了しました
その娘ラウレッタを歌った砂川涼子は、新国立劇場では「トゥーランドット」リュー、「魔笛」パミーナ、「カルメン」ミカエラなど 純真な女性を歌って定評があるソプラノです このオペラでは、喜劇の中の唯一の泣かせるアリア「私のお父さん」を澄んだ声で歌い、私を泣かせました プッチーニは悲劇だけでなく喜劇でも歴史に残るアリアを残しています
その恋人ヌッチョを歌った村上敏明はメリハリのある歌唱で演技力も十分でした このほか、出演者が多数なので省略しますが、出演者のきびきびした動きによる実に楽しい公演でした
演出面では、最初に触れた点の他に、ラストシーンでジャンニ・スキッキが卓上の本の中に消えていく演出は、主人公がこのオペラの元となるダンテの「神曲」の世界に戻っていくかのようで、素晴らしいと思いました
カーテンコールが繰り返されますが、砂川涼子さんから耳打ちされたアルバレス氏が、舞台後方でふてくされてる”ブオーゾの死体”を迎えに行き、肩に担いでセンターに戻り、カーテンコールに参加させました カーテンコールに参加する死体を見たのは生まれて初めてです したがって、出演者は15人ではなく16人でした。訂正します
このブログの冒頭で、この日に上演されたツェムリンスキー「フィレンツェの悲劇」とプッチーニ「ジャンニ・スキッキ」の違いを3点挙げましたが、2つの作品を観終わって1つ追加しなければならないことに気が付きました それはテンポです 前者は日本の伝統芸能「能」の悠久の流れを感じたのに対し、後者は「吉本新喜劇」のような速い流れを感じました
このように共通点と相違点が複数ある作品のダブルビル公演でしたが、まったく異なる趣のオペラを一度に観ることができたのは とても良かったと思います